ディア・ドクター
2009/日本/エンジンフイルム=アスミック・エース/127分
出演:笑福亭鶴瓶 瑛太 余貴美子 井川遥 松重豊 岩松了 笹野高史 中村勘三郎 香川照之 八千草薫
監督:西川美和
http://www.deardoctor.jp
無医村 [85点]
つるべと余貴美子のコンビが素敵でした?
命の大切さを感じせつなくなりました。
また日本の医療の実態についても考えさせられるものでした。
人にオススメしたい映画です
2010/11/03 13:20
ちぃ
無医村の寓話 [85点] [参考:1]
※ネタバレを含むレビューです。
作品に対する世間の評価、そして各映画祭で主演男優賞を総なめにしている笑福亭鶴瓶の演技の評価に反し、不思議と観終わった時に何の感動もなかった作品であったのには困ってしまった。
いや映画がつまらなかった訳ではない。誰もの心の中にある原風景のような村の美しさや無医村が抱える現実が上手く描かれていると思った。
なのになぜ感動できないのかと考えてみると、この作品には感情移入できる登場人物がいないことに気づいた。
主役の医者である伊野や研修医(瑛太)、看護師(余貴美子)、製薬会社の社員(香川照之)、刑事(松重豊)そして村人にも自分を重ねることができず、最後まで単なる傍観者として映画を観てしまった。
主人公の伊野が偽医者であることはすぐに分かるが、それに気づいている誰もがそのことは口にせず、彼を村にとってなくてはならない医者として接している。
そんな生活に居心地の悪さと村人から感謝されることの喜びとの複雑な気持ちを持っている伊野は、何とか村人の期待に応えようとそれなりの努力をして平和な時間が流れていく。
本当は偽医者であることを告発され、早々に村を出て行きたかったのかも知れないが、誰もがそれを許してくれない。考えようによっては怖い寓話である。
だから研修医の車に乗り込む時に伊野が「免許がないのよ。」と言う台詞は伊野の心の叫びのようにも聞こえた。
伊野がブラックジャックのような腕を持った医者ならまだしも、医学に対しては素人同然で、付け焼き刃的に勉強しては患者に臨む姿にも怖いものがある。
この伊野の行動を是ととるか否ととるかでこの作品の評価は大きく分かれてくるのではないだろうか。
これまで軽い病気の診断や薬の処方をするだけだった伊野の前に重大な決断を迫られる患者が登場するところから物語が動き始める。
処置しなければ患者は助からない。しかし伊野には患者を助ける知識も技術ない。唯一看護師だけがその知識を持っているが医者ではないことを理由に自ら処置をすることはない。
看護師に促されてしぶしぶ処置をして結果オーライ。だが一つ間違えれば殺人罪にも問われかねない行為である。
この看護師が自分は法的な立場から処置はしないのに、伊野の違法行為はあえて見逃しているところがこれまた怖い。
さらに伊野は重い病で死期が迫っている老女(八千草薫)の意思を尊重し自宅で穏やかに最期の時を迎えさせることを選択するが、その老女の娘である女医(井川遥)はそれを許さない。
医者としてはどちらが正しい選択か。人間としてはどちらが正しい選択か。その答の選択も観客に投げられている。
医療とはどうあるべきか、患者とはどう接するべきかを世に問う作品ではあるが、監督なりの答を示さず観客にそれを委ねているところも考えさせられる作品ではあるが感動しない理由のような気がする。
また絶賛されている笑福亭鶴瓶の演技も伊野を演じていると言うよりも、普段見慣れている鶴瓶に伊野を同化させているようで、脇を固める余貴美子と香川照之の前では霞んでしまう。
いや鶴瓶が悪い訳ではなく自分自身と伊野を上手く同化させてはいるのだが、何しろ脇役の2人が上手すぎるのだ。この2人の前では瑛太の演技ですら霞んでしまうほどである。
繰り返すが決して嫌いではなくむしろ好きな作品なのだが、この作品で監督が訴えたかったであろう無医村の抱える問題や死を目前にした患者への尊厳に対し、監督なりのストレートな答を明らかにしてほしかった作品である。
2010/03/01 23:43
kira
親愛なる先生 [87点] [参考:1]
※ネタバレを含むレビューです。
監督の西川美和さんがすごくチャーミングな方で、2009年は色々な賞を取って話題をかなり持って行っちゃった人です。作品の方も期待していましたが、これは噂通りの傑作ですね。鶴瓶師匠もついに映画に本格進出。うまいです。
これが批評家とか色々な人に高く評価されたのは、人間というものがどういうものなのか、よく描けているからだと思いました。
村の医者、鶴瓶師匠は「あの医者はいい医者だ」と村人から尊敬され、愛されているのに、偽の医者だとわかると「変だと思った」と非難される。いいところばかりが見えていたのに、今度は途端に悪いところばかりが見えてくる。人間ってこんなもんだよなあ。
映画を見ていると、鶴瓶師匠が偽者だということは観客には割とすぐにわかってしまうのですが、鶴瓶師匠が偽者でありながらも医者としていかに行動しているかが興味をひきます。ガンだということをだまっているのは医者としては失格かもしれないけれど、人としてはこういう選択肢もありなのだと思いましたし、急患が来て思い切った行動を取ったのも、本物の医者にはできないことであって鶴瓶師匠の行動のひとつひとつが興味深いんですよね。人ならこうするであろうというのがよくわかるんです。
八千草薫と鶴瓶師匠のやりとり、これがまたいいんですよねえ。懐中電灯をぐるぐる回す仕草がまたいい。最後はさりげないですね。心憎いくらいにさりげない。とても魅力的なキャラクターです。
僕も20年後にもう一度これを見たら、たぶん今度はもっと高い評価をつけていると思う。
2010/01/28 06:34
シネマガ管理人
虚と実の間 [99点] [参考:1]
※ネタバレを含むレビューです。
(ネタバレ注意!)
美しい田舎の原風景を舞台に、最初から最後までウソっぽさにまみれたコメディタッチで、シリアスなテーマ性のあるミステリードラマ。何がホンモノで何がニセモノか分からない。このあいまいさが本作の肝である。
観賞中、主人公の胡散臭いキャラクターに違和感を覚え、後味はよくなかった。しかし、この感覚こそ西川監督の狙っていたものではないだろうか。観客を映画にのめりこませないで、絶えず解釈を促す演出。王道を行く傑作である。
主人公は職を転々とした挙句、善良な村人を欺いて、医師の資格がないのに、高給の村立診療所長におさまった。しかも、ボランティアと称して時間外の訪問診療をし、悪徳薬剤業者と結託して暴利を貪っていたのである。
次々と疑問点が浮かんでくる。
村の誰も主人公の正体を見抜けなかったとは思えない。彼らは、騙されているかも?と疑いながらも、彼のキャラクターと医療知識&技術を利用していたのだろうか。
本作はある意味メルヘンである。
彼はぼろ儲けしたらトンズラするつもりだったが、村民に感謝される度に充実感を覚え、ズルズルと居ついてしまったのである。
本作のテーマである「あいまいさ」とは何か、をみてみよう。
主人公をはじめ、登場人物は全員、あいまいさの中で生きている。
他者との関係において「おかしいな」と思いつつも時には真情を吐露する、ということを繰り返して、互いに変容しながら生きているのだ。
「本当のことを告白する」と、蜘蛛の巣のように張り巡らされた真実/虚偽、充実/空虚、自己/他者、権力(警察)/自由といった2項対立は断ち切られる。そして、両者は自在に移動し、入り込んで、同時にかつ別々に成立する。
ただ一つの筋道なんてないのである。
ある時は真で、ある時は偽。ある時は充実していて、ある時は空虚。ある時は自己で、ある時は他者になる。ある時は権力側に立ち、ある時は自由を求める・・・。
人はこのような「蜘蛛の巣の寸断 」を反復し、変容しながら存在するのである。
映画の中で、「反復・変容」の具体的な表現としては、次のような場面がある。
・主人公の職業、彼の語る父親の職業はコロコロ変わる。
・クルクル回る洗濯機、
・彼が恋する未亡人のカルテの上を、転がって飛んでいくゴキブリ。
・夜、未亡人宅を訪問した後、彼は、医師である父から盗んだ病院のロゴ入りのペンライト(屈折した彼自身のメタファー)をぐるぐる回しながら彼女に挨拶する・・・。
後日、公の場で、主人公がニセモノと分かったとたん、「そういえば・・・」と本心を語る人々・・・。
彼らは、彼がニセモノであることを承知していたが、メルヘンを壊したくなかったのだ。
ここでは、善悪を超えて回帰するしかない人間の業がある。
暴頭とラスト近くで、精神障害者の青年がハーモニカを吹くシーンがあるが、彼は善悪を分けずに生きる人間というものを象徴しているのだろうか。
主人公の「父と息子」の確執、未亡人の「母と娘」の複雑な関係も、あいまいさの中で見えてくる。
主人公はガラスに、未亡人は鏡に、1回ずつ顔を映すが、虚と実の間を往還する人間のありようを表現しているのだろう。
行間を読む楽しさに満ちた、小説のような味わい。西川監督の作品にはいつもゾクゾクさせられる。本年度ベストワンに挙げたい。
2009/07/20 00:02
hime
2009年6月27日(土)、有楽町にて、『ディア・ドクター』の初日舞台挨拶が行われ、西川美和監督(34)、笑福亭鶴瓶(57)、八千草薫(78)、瑛太(26)が登壇した。
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