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2009/日本/エンジンフイルム=アスミック・エース/127分
出演:笑福亭鶴瓶 瑛太 余貴美子 井川遥 松重豊 岩松了 笹野高史 中村勘三郎 香川照之 八千草薫 
監督:西川美和
http://www.deardoctor.jp

偏差値:60.3 レビューを書く 解説

虚と実の間 [99点] [参考:1]

このレビューはネタバレを含みます

(ネタバレ注意!)
美しい田舎の原風景を舞台に、最初から最後までウソっぽさにまみれたコメディタッチで、シリアスなテーマ性のあるミステリードラマ。何がホンモノで何がニセモノか分からない。このあいまいさが本作の肝である。

 観賞中、主人公の胡散臭いキャラクターに違和感を覚え、後味はよくなかった。しかし、この感覚こそ西川監督の狙っていたものではないだろうか。観客を映画にのめりこませないで、絶えず解釈を促す演出。王道を行く傑作である。

 主人公は職を転々とした挙句、善良な村人を欺いて、医師の資格がないのに、高給の村立診療所長におさまった。しかも、ボランティアと称して時間外の訪問診療をし、悪徳薬剤業者と結託して暴利を貪っていたのである。
 
次々と疑問点が浮かんでくる。
 村の誰も主人公の正体を見抜けなかったとは思えない。彼らは、騙されているかも?と疑いながらも、彼のキャラクターと医療知識&技術を利用していたのだろうか。

本作はある意味メルヘンである。
 彼はぼろ儲けしたらトンズラするつもりだったが、村民に感謝される度に充実感を覚え、ズルズルと居ついてしまったのである。

 本作のテーマである「あいまいさ」とは何か、をみてみよう。
 主人公をはじめ、登場人物は全員、あいまいさの中で生きている。
 他者との関係において「おかしいな」と思いつつも時には真情を吐露する、ということを繰り返して、互いに変容しながら生きているのだ。

 「本当のことを告白する」と、蜘蛛の巣のように張り巡らされた真実/虚偽、充実/空虚、自己/他者、権力(警察)/自由といった2項対立は断ち切られる。そして、両者は自在に移動し、入り込んで、同時にかつ別々に成立する。
ただ一つの筋道なんてないのである。
 ある時は真で、ある時は偽。ある時は充実していて、ある時は空虚。ある時は自己で、ある時は他者になる。ある時は権力側に立ち、ある時は自由を求める・・・。
人はこのような「蜘蛛の巣の寸断 」を反復し、変容しながら存在するのである。

映画の中で、「反復・変容」の具体的な表現としては、次のような場面がある。
 ・主人公の職業、彼の語る父親の職業はコロコロ変わる。
 ・クルクル回る洗濯機、
 ・彼が恋する未亡人のカルテの上を、転がって飛んでいくゴキブリ。
・夜、未亡人宅を訪問した後、彼は、医師である父から盗んだ病院のロゴ入りのペンライト(屈折した彼自身のメタファー)をぐるぐる回しながら彼女に挨拶する・・・。

後日、公の場で、主人公がニセモノと分かったとたん、「そういえば・・・」と本心を語る人々・・・。
 彼らは、彼がニセモノであることを承知していたが、メルヘンを壊したくなかったのだ。

  ここでは、善悪を超えて回帰するしかない人間の業がある。
暴頭とラスト近くで、精神障害者の青年がハーモニカを吹くシーンがあるが、彼は善悪を分けずに生きる人間というものを象徴しているのだろうか。

 主人公の「父と息子」の確執、未亡人の「母と娘」の複雑な関係も、あいまいさの中で見えてくる。
 主人公はガラスに、未亡人は鏡に、1回ずつ顔を映すが、虚と実の間を往還する人間のありようを表現しているのだろう。

 行間を読む楽しさに満ちた、小説のような味わい。西川監督の作品にはいつもゾクゾクさせられる。本年度ベストワンに挙げたい。

2009/07/20 00:02

hime

参考になりましたか?

的確なレビューを書かれますね。
思っていても書けない自分はそんな人にいつも感心し憧れます。
変わらぬ鶴瓶師匠が出てきてふつーに見始めてたんですが、冒頭でおじいさんが死にそうな場面になった時、後ろで奥さんが手をぎゅっと握り締めるのを横目でみる鶴瓶師匠をみたシーンから一気に引き込まれてしまいました。
ほんとにいい映画でした。

zerozerooyaji (09/07/22 12:57)

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