『聯合艦隊司令長官 山本五十六』太平洋戦争の歴史を目の当たりに見る
お正月映画の中でも、ぜひご家族揃って見て欲しい作品が『聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実―』である。ここ1・2年の日本映画の中でも稀に見る大作である。
よく舞台挨拶で役者が「構えないで気楽に見てください」とコメントすることがあるが、これは逆である。むしろ最初から意識的に構えてもらいたいと思う。「よし。見るぞ」と心の準備をすること。この胸の高鳴りも含めて映画の楽しみのひとつである。そして本作はその期待にちゃんと応えてくれる作品なのである。
山本五十六を演じるのは役所広司。役所広司が主演というだけで大作の空気が漂ってくる。他の役者もすごい。よくぞ集めた。しかも偶然山羊座のスターばかり。東映を本気にさせるとすごい。不思議とこれだけの役者が集まっていながら役者で売ってる感じがしない。そこがいい。役所広司を主役として、玉木宏以下、他の役者はウエイトが対等に思える。これだけの豪華キャストにして、役者ではなく映画そのものを売りにしている感じだ。パンフレットの写真を見ても、映画のワンカットワンカットから大作の重みを感じる。
2011年は戦争映画の当たり年で、他に『太平洋の奇跡』が封切られて高く評価されている。いずれも傑作だが、2作は非常に対象的である。どちらがいい映画なのかは個人の判断に委ねるが、『山本五十六』は、これまでの戦争映画とはだいぶ内容が違っていて特筆すべき点が多い。
特徴として、これは太平洋戦争を描いていながら、アメリカ人は一人も画面に出てこない。しかし戦場シーンの臨場感はかつてないほどリアルだ。成島出監督は舞台挨拶で「今回は作るのが難しかった」と話していた。相当見せ方にはこだわっていたのではなかろうか。これまでの戦争映画では、カメラができる限り戦場に接近することで臨場感を出していたものだが、本作では逆にカメラが戦場から遠ざかることでスケール感を高めている。その場に立っているような映像ではなく、歴史に立ち会ったような映像になっている。そこがいい。山本五十六の視点で映画は語られるのではなく、玉木宏演じる記者を語り部役としているところにもその狙いがある。
筆者は戦争映画というものは大抵戦意高揚映画か反戦映画のどちらかに二分できるものだと思っていたが、それは間違っていた。本作はそのどちらでもなく、山本五十六という人物像を客観的に描くことに重点が置かれている。戦争については是非に及ばず。歴史としてありのままに描いてるだけである。だから面白い。薩摩長州が幕府と戦ったことは歴史であり、同様に日本が真珠湾を攻撃し、ミッドウェーで惨敗したのも歴史である。戦争を戦場として描くのではなく、戦争を歴史として描くことで、結果として、従来の戦争映画よりも戦争がよくわかる映画になった。歴史ファンにとっても満足のいく内容ではなかろうか。
今リーダー像としても注目されている山本五十六。しかし正直「おいおい。リーダーとしてそいつはどうかな」と思うシーンが結構あった。そういう人間臭さがかえって魅力的でもあるわけだが。茶漬けを食しながら悔し泣きする部下を笑顔で見守るシーンが秀逸。ミッドウェー海戦の無念と、リーダーとしての山本五十六の人格。それが同時に迫って来て、筆者は思わず映画館で男泣き。お涙頂戴を狙った作品ではないけれど、じわじわと来るものがある作品だ。
山本五十六はご存知のようにブーゲンビル島上空で撃墜されて死ぬわけだが、この死に様がかっこいい。これまでたくさんの映画で様々の死に様を見て来たが、これほど胸にぐっときた死に様は見たことがない。脳裏に焼き付いて、映画を見てから一週間経ってもまだ忘れられない。ぜひ映画館で見て欲しい。最後の歌が意外に良くて、 今ではこの曲を聴くたびに山本五十六の死に様を思い出してしまう。
こういう重厚な作品に製作費を注ぎ込むことは素晴らしいことだと思う。日本にも1年に1本くらいこういう映画があってもいい。硬派な映画だが、初日の舞台挨拶はとても愉快なものであった。『沈まぬ太陽』では渡辺謙は舞台挨拶中に感極まって涙したというが、役所広司はこれだけ硬派な映画でも終始にっこり。「マスコミの方々も沢山いらして、沢山の写真を撮られていたので笑顔でがんばりました。どうか記事はこんなじゃなくてこーんな大きくお願いします」とジョークを交えて挨拶していた。そんな軽い挨拶ではあったが、役所広司にとってこれは代表作のひとつになったのは間違いない。(澤田英繁)
2011/12/30 14:44