替え玉はダマシ行為か? (メールマガジン)

2005/3/28 Vol.41

こんにちは。澤田です。

会社で課長の携帯電話が鳴りっぱなしでした。その着信音に聞き覚えがあったのですが、誰の曲だったのかどうしても思い出せません。家に帰ってやっとそれがYMOだったことに気づきました。課長の携帯がYMOってのが笑えます。案外中間管理職は音楽や映画が趣味なのかも知れませんね。

僕の携帯着信音はただのトゥルルルルですが、着信音って本当に色々な曲があるんですね。「仁義なき戦い」のテーマ曲を着信音にしてる人もいました。着信音がきっかけで友達になった人もいます。


ミニコラム「替え玉はダマシ行為か?」

僕はスターが大好きです。出演者次第で作品の価値も変わってくると思います。俳優目的で映画を見るという人も多いんじゃないでしょうか。

そこでひとつここで問題にあげたいのが「替え玉」です。つまり、スターではなく、別の人がスターの代役を演じていることです。遠景で顔がよく見えない時、代役を使っている可能性があります。これはまだ許容範囲ですが、裸のシーンや、手や足の接写シーンで、もしかしたらそれはスター本人じゃないかもしれないのです。あなたは許せますか?

僕が一番ショックを受けたのは「お熱いのがお好き」のポスターです。写っているマリリン・モンローが実は偽物でして、顔だけがハメコミだったのです。スケジュールが間に合わず、別の人が代役で撮影したそうです。まんまとダマされてしまいました。ずっとモンローの体だと思っていたのに、違う人だとわかると、なんだかショックじゃないですか? こういうことは映画界では普通にやっていることです。これって、ある意味では観客を欺いてるようにも思えるかもしれません。しかし、そこは許してやってください。僕はあくまでも映画は「作品志向」だと思うのです。良い作品を作るためなら、大いにダマシも必要だと思うのです。ベテラン女優を出演させて、裸のシーンだけは若い代役に演じさせるというのも、作品の質を高めるためには必要でしょう。

映画はそもそもがダマシなのです。セットには天井がありません。効果音もすべて作り物です。我々は偽物を本物と思ってみているのです。だからこそ映画は面白いのだと思うのです。

オリジナルページを表示する