映画を批判するか、映画を批判した人を批判するか (メールマガジン)

2005/3/21 Vol.40

こんにちは。二週間ぶりの澤田です。

ここではあまり時事について書きたくないのですが、今回は例外です。福岡でものすごい大地震がありましたけど、福岡の人たち、大丈夫ですか?福岡は僕の第二の故郷。福岡にいる友達のことが心配です。この前の新潟の地震もひどかったですけど、天災地変というのは本当に恐ろしいですね。もし自分もその時福岡にいたとしたら・・・考えただけで怖いです。被災者の苦労は想像に余るものがあります。


ミニコラム「映画を批判するか、映画を批判した人を批判するか」

映画は、映画として発表された以上、どのような形でも批判される覚悟が必要です。10人が見て10人が同じ意見のはずがありません。中には作り手の主張を理解できない人もいるのです。

映画批評には色々なタイプのものがあります。監督を褒めたもの、物語の人間性をえぐったもの等々です。僕はどのようなタイプの批評にも価値があると考えています。作り手側にしてみれば「そんなつもりで作った映画じゃない」と言いたくなるものもあるかもしれませんが、観客にとってはそれも素直な感想のはずなので、これもひとつの見方なのだと開き直るべきだと思うのです。「美人女優だけに見とれてストーリーがわからなかった」という感想も決して間違いではなく、恥ずかしくない意見だと思うのです。

ただひとつ恥ずかしいと思うのが、他人の批評をやり玉にあげて「こいつは何もわかっとらん」と小馬鹿にしつつ、俺だけがこの映画をわかっているんだぞと、自分の頭の良さをひけらかした批評です。他人をコケにすることで自分がさも勝ったように優越感にひたっているようなうぬぼれ屋は、映画そのものを批評する目的を見失っています。というのは僕のことなんですが、いやはや大人げなかったですね。今では、自分と考えの違う人の意見からも学ぶものが多く、参考にさせてもらっています。

映画批評を書くのなら、映画を批判した人を批判するのではなく、映画そのものについて自分なりの見方について書きたいものです。それが今の僕にとっての映画批評の心がまえです。

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