役者で見るか監督で見るか (メールマガジン)

2005/2/8 Vol.35

こんにちは。澤田です。

先週一週間ひどい風邪でしたが、フラフラなまま、出張で札幌に行ってきました。飛行機では気圧のせいで耳が耐えられないほど痛くなるし、仕事中も咳がとまらず、気分は最低です。もうちょっと元気なときに札幌に行きたかったですね。雪祭りの「準備」も見学しました。しかしすごい雪ですね。僕は九州男児なので、雪が珍しく、子供みたいに雪をこねて遊んでました。北海道の皆さん、いつも雪かきご苦労様です。

札幌に来て思いましたが、日本なんてどこに行っても同じですね。デパートもファストフードもコンビニも、全国どこに行ってもチェーン店ばかりですし、売ってるものにも何の違いもないですから。僕はすごく日本が狭く感じました。


ミニコラム「役者で見るか監督で見るか」

映画には何かしら、作り手の人格が表れるものです。それは監督の性格であったり、出演者の性格であったりもします。今回のミニコラムでは、映画は誰を主体として作られているのか、考察してみることにします。

僕は映画は主に役者主体のものと、監督主体のものに二分されると思っていますが、それに加えて、プロデューサー主体の映画、脚本家主体の映画などもあります。

まず役者主体の映画。役者の個性が作品の質を左右するタイプの映画で、たとえばハンフリー・ボガートが出ている映画などがそうです。去年公開の映画では「スクール・オブ・ロック」や「21グラム」が役者主体でした。ジム・キャリーなどは役者主体映画の代表格スターです。

監督主体の映画は、演出にクセを感じさせる作品ですね。ヒッチコックの映画は誰が見てもヒッチコックの映画だとわかります。最近では「キル・ビルVOL.2」が見ていてタランティーノ監督の顔が浮かんでくる監督主体の映画でした。プロデューサー主体の映画は、巨額の製作費を投じた大作に多いですね。古くは「風と共に去りぬ」がそうでした。「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」は僕はピーター・ジャクソンは監督としてでなくプロデューサーとして評価すべきものだと思っています。

脚本家主体の映画は、ストーリー自体がすごく良くできている作品です。「シービスケット」も「スパイダーマン2」も脚本があってこそです。脚本は後にずたずたに改ざんされてしまうものですが、とはいえ脚本家はプロデューサーと同額のギャラをもらえるらしく、彼らを軽んずることはできません。

全体的にバランスがとれた「作品主体」の映画もあります。例えば「ミスティック・リバー」は役者も演出も脚本もすべてにおいて調度良いバランスでした。ちなみに僕はこのようにバランスが取れている作品よりも、何かクセのある作品の方が好きです。

映画について語るときは、監督のことばかりを云々するのではなくて、色々な人たちの仕事ぶりを見てあげることが大切なんですね。僕はそう思いました。

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