第8夜『僕の彼女はサイボーグ』

人間とロボットの時間を超えた壮大なるラブストーリー

僕の彼女はサイボーグ

 韓国のクァク・ジェヨン監督による『猟奇的な彼女』、『僕の彼女を紹介します』に続く<彼女シリーズ>の第3弾にあたる作品だが、なんとこれは日本映画である。今回のヒロイン役には綾瀬はるかが起用された。

 クァク・ジェヨン監督は日本でも人気が高く、日本の山本又一朗プロデューサーと映画に対する意志の方向性が一致したことで日本で撮ることが実現した。監督は「日本の方が映画を作りやすかった」と日本での撮影を満喫したようで「次も日本で撮りたい」「日本の監督と思ってもらっていい」などとコメントしている。結果として『僕の彼女はサイボーグ』は国籍や文化の垣根を越えたストーリーとなり、大袈裟な話ではなく、悠久の時を超えた人類普遍的な愛の神秘を描いた作品となった。

 構えずに、素直な気持ちで見るべき映画だ。僕が第一に感じた感想は、これがとても無邪気な映画だということだ。この無邪気さが鼻につく人もいるかもしれないが、好きな人にはホッとさせられるものだ。小出恵介演じる主人公はとてもお人好しだし、監督の優しさが伝わってくるようだ。

 愛についても、今時珍しくプラトニックな純愛物語である。人間とロボットの恋という日本の漫画でもよく見てきた内容を、堂々と実写でやってみせた。ロマンチックという言葉を冠すると普通ならうさんくさくなるものだが、この映画の場合、それがしっくりとはまる。ちょっぴりイタズラが過ぎているけれど、それも許せてしまう空気が全体にあって、割とありきたりなシーンでも様になっている。そこがこの監督の力量なのだと思う。

 大地震で何もかも破壊してしまう展開は、まるで子供が考えたような突拍子もない発想だが(ある意味そこも無邪気なのだが)、子供だましではなく、それを果てしなく大きく描いて見せきったところはさすがの一言。壮絶なクライマックスになっている。僕の隣に座っていた女性客は思わずショックでハッと口をふさいでいたくらいだ。

 未来の映像が衝撃的。うまく表現できないが、自分が老いて死ぬことの怖さのようなものを感じた。これが単なるラブファンタジーに終わっていないのはそこだ。未来社会では、主人公の一生が昔話のように語られる。「あぁ、もう主人公はこの世にはいないんだよなあ」などと考えていると、「自分もとっくに死んでるな」と、主人公を自分に置き換えて考えてしまう。僕も「自分のいない未来」をここまでもまざまざと意識させられた映像を見たのは初めてだ。主人公のぐるぐる行き来する人生を思うと、人生の意義って何だろうと、そんなことまで考えてしまう。

 未来社会の主人公の姿が恐ろしすぎる。ロボットに誕生日を祝ってもらうシーンは自分に置き換えて見てしまい、ものすごく怖くなってきた。老いることがこれほど怖いと思ったことはない。「夢に出てきそうだ」と思っていたら、その晩、本当に夢に出てきたのだから。

 中盤までは普通の青春SFファンタジー映画仕立てかと思っていたら、それまで何気なく見ていた映像が、ラストシーンで一気に肉付けされる。最初のシーンと最後のシーンはつながっており、ほとんど同じ内容の映像なのに、最初と最後で全く見方は異なっている。「なるほど、そうだったのか」という驚きと共に、これが長い長い時間を超えた壮大なるラブ・ストーリーであったことがわかり、大きな感動を覚えることだろう。(2008/4/21)