ポーレット・ゴダード (今週のスター)

(1911~1990)

 色んな人とお熱かったんです

 ポーレット・ゴダードといえば、「独裁者」(40)に出演した女優としか記憶されておらず、あまり有名な女優とは言えないかもしれない。だがしかし、「知ってるつもり」で特集したら受けそうな面白い人生を送っていたのだ。

 まず一番知って欲しいのは、「風と共に去りぬ」(39)のスカーレット役。スカーレット役選びは当時の流行みたいなもので、沢山の候補者がオーディションを受けた。小説のファンの人も色々な女優を投票したものである。結局ヴィヴィアン・リーに決まったのだが、実はリーに決まるまでは、ポーレット・ゴダードこそが最有力だったのである。スタッフもゴダードを大層気に入っていて、「見れば見るほどスカーレット・オハラそのものだ」と言われていたほど。「風と共に去りぬ 幻のメイキング」を見てみると、彼女が演じたスカーレットのカラー映像を長々と拝むことができるが、確かにとてもいい演技を見せてくれたいた。ヴィヴィアン・リーは世界一美しい女優という名誉を欲しいままにしたが、もしゴダードが「風と共に去りぬ」に出ていたら、リーと人生が入れ替わっていたかもしれない。リーもゴダードも同様に出演作がとても少なかったのだから。

 話は変わるが、彼女がお付き合いした男性陣の名前を並べただけでもとても興味深い。
 最初の結婚は21歳で、相手はエドワード・ジェームズという琥珀会社の社長である。この結婚生活は1年もたたないうちに終わった。
 次の結婚は25歳で、お相手は何と喜劇王チャールズ・チャップリン。彼の傑作「モダン・タイムス」(36)ではお転婆な浮浪少女を演じていたが、そのとき実は2人は夫婦になっていた。チャップリンはロリコンで有名だが、彼が恋した人の中で、唯ひとりゴダードだけが成人していた女である。6年後に離婚。お互いに長続きした方である。
 三度目の結婚は、後に「ロッキー」でトレーナーのじじいを演じることになるバージェス・メレディス。チャップリンと別れて2年後33歳のことだったが、こちらも6年で破局を迎えた。
 四度目は47歳になって。相手は「西部戦線異状なし」「凱旋門」などを書いた有名な作家エリッヒ・マリア・レマルク。彼の著書「黒いオベリスク」はゴダードのために書かれたものだ。ところがおかしなことに、2人は結局一度も同棲しておらず、ゴダードは形だけのレマルク夫人を楽しんだ。彼の死後は、遺産相続で色々ともめてしまったようだ。
 次にゴダードがお付き合いを始めた人は、何とアーチストのアンディ・ウォーホル。このときゴダードは65歳。ウォーホルは45歳。結婚はしなかったが、パリ、ローマ、スイス、ニューヨークを2人だけで旅し、ゴダードも息子のような彼に相当な熱をあげていたようだ。

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