フランソワーズ・アルヌール (今週のスター)

 どうしてセクシーな女優は人気があるのだろう。そしてそれを考えるときには必ずついてくるジンクスとして、どうしてセクシーな女優は活動期間が短いのだろう。

 フランソワーズ・アルヌールは50年代のフランス映画界でもっともセクシーだった女優である。もちろん日本でも大人気で、バルドーが登場するまでは、ひょっとしたらアルヌールが一番人気があったのではないだろうか。しかし彼女の60年代はというと、映画に出ていたには出ていたが、そのほとんどが日本未公開。つまり日本人にとって、アルヌールは50年代で時間が止まっている。彼女は性格女優にはなれなかったということになるのか。三十路で見捨てられてしまったという事実は、悲劇ではないか。

 でもよくよく考えてみると、やっぱり女優は綺麗であることに越したことはない。他に取り柄がない人でも、綺麗であればその出演作品を大傑作にしてしまうことだって可能だ。たとえ30を過ぎてスランプになったとしても、綺麗だった時代が少しでもあればそれでいいときもあるんだ。観客は綺麗だった頃の姿だけを覚えてくれるだろうから。
 アルヌールは30歳で終わったが、それはつまりは、観客には小じわも出てきてない20代の頃の作品の記憶しか残らないことになる。つまりアルヌール本人が滅びようとも、20代のアルヌールは永遠に残るのである。
 20代のアルヌールはお世辞抜きに綺麗な人だった。それだから沢山の名作が生まれた。「過去を持つ愛情」(54)、「フレンチ・カンカン」(55)、「ヘッドライト」(55)、「幸福への招待」(56)、「大運河」(56)、「遙かなる国から来た男」(56)、「女狐」(58)。彼女があそこまで魅力的でなければ、これらの傑作は傑作になりえなかった。若くてかわいらしいアルヌールは、映画の中では永遠に20代のままなのだ。(なんか僕って無茶苦茶なこと書いてしまったかな)

オリジナルページを表示する