渥美清 (今週のスター)

 渥美清さんの葬儀で、山田洋次監督の弔辞はこのようなものだった。「もう一作だけ、もう一作だけ、という思いで47作、48作を作りました。渥美さんはどんなにきつかったか。ああ悪いことをした。僕は後悔しています。渥美さん、長い間つらい思いをさせてすみませんでした」  長い間、国民から愛されて、27年間も日本人を笑わせ、泣かせてくれた「寅さん」シリーズは、日本映画史上における最高傑作である。低迷した日本映画を明るくし(ちなみに同時上映は為五郎シリーズ、全員集合シリーズ、釣りバカシリーズなどだった)、もはや日本人なら知らない人は一人もいない名作シリーズ。実に全48作という記録は世界最長であるし、外国でももっとも有名な日本映画なのである。少しも西洋臭さを匂わせない純粋な日本文化を描いた映画であることが、世界でも成功することになったのだと批評家たちは指摘している。時代錯誤で外国嫌いの雪駄の寅さんは「世界一日本人らしい日本人」と言われていた。  「寅さん」は笑いと愛と感動のホームドラマ(あるいはロードムービー)で、暴力描写も性描写もまったくない健全たる内容で、すべての作品を決まったパターンで貫き通した。毎回、目の大きなマドンナに恋しては、甲斐性がないために最後には振られて旅に出るという内容である。セリフもいつも決まり文句。マンネリではあったが、期待通りの展開になることは、何か暖かさのようなものがあり、観客をホッとさせるものがあった。それでいて作品のクオリティは毎度高く、作品一本の価値はアカデミー賞を受賞したハリウッド映画一本分と同等かそれ以上の価値があるといってもいい内容である(失敗作はそれはそれで考えさせられる何かがある)。「寅さん」を見ていると、下品なハリウッド映画なんぞが馬鹿らしく思えてくることが多々あるのである。  もちろんその魅力は渥美さんの独壇場といえるキャラクター性のたまものである。お茶の間で自慢の美声で一人悠々と人生を語り、言葉だけで情景を浮かび上がらせるいわゆる「寅さんのアリア」は、シリーズの一番の見所である。また毎回恋の病でクラクラになる様子がおかしかった。  アメリカは渥美さんを「アジアのチャップリン」と称したが、それは映画に生涯をかける意気込みが共通するからである。渥美さんほど一人の登場人物を演じることに命をかけた役者はいない。  また岩尾文子さん、吉永小百合さん、岸恵子さん、香川京子さん、京マチ子さん、田中絹代さん、そして笠智衆さん、志村喬さん、三船敏郎さん、その他大勢の俳優たちと共演したが、渥美さんほどこれほどまでに日本映画界のビッグスターたちと数多く共演した役者もいまい。  実は僕は渥美さんが死ぬまで寅さんを見たことがなかった。しょっちゅうテレビで放送していたが、当時の僕は渥美さんを見て「だせえ」とか思ってたのだろう。しかし渥美さんが死んで、一本だけ何か見てみようという気になったのである。ところがレンタルビデオ店にいってもビデオはほぼ全部貸し出し。すごい人気シリーズだと思った(いまだにビデオ店では半数がレンタル中であることには驚くばかりである)。  僕が初めて見た作品は「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」だった。29作目である。それを見たのは僕が18歳か19歳の頃だったが、正直、それを見た当時は、なかなかよくできているとは思ったものの、大して印象に残っていなかった。あのとき、僕の目には渥美さんの演技が大げさに思えたのである。今では、これ以上うまい演技はないといいたくなる名演技だと思っているのにだ。あの頃の僕はまだ今ほど映画を見る目がなかったのだろう。  29作目は寅さんが老い始める最初の1作目である。山田監督も29作目がターニングポイントだと語っていた。たしかに29作目よりも前と後とでは渥美さんの演技が違うし、29作目前後に傑作が集中している。29作目より前の寅さんはエネルギッシュで、たたき売りがうまくて、恋にも情熱的なチンピラだった。そしてよく家族とけんかしていた。ところが29作目以降からは寅さんは滅多に怒鳴らず、またとても優しく落ち着いた旅人になっていた。子供から大人に成長したというべきか。  後半の寅さんなりの恋愛観は、失恋の回数を重ねていることを観客も充分知っているからこそ味があるのであって、いきなり後半の作品から見ても、それ以前を見ていなければ本当の意味は伝わってこない。だから29作目をいきなり見た僕が大して感動しなかったのは自然だったのかもしれない。  寅さんは毎回同じパターンではあるが、少しずつ成長し、老いている。その経過をゆっくり一作ずつ見ていくことで、29作目のおもしろさも数十倍にもふくれあがるものである。  一番人気がある作品は25作目の「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」だが、これも24作目までの寅さんの性格を知っていてこそ初めて楽しめる内容であり、全作を見てもう一度見直すとさらに味わい深い内容になるのである。「寅さん」はすべてがつながって壮大な物語になっているので、全作品を見なければ深く語れないのだ。もっとも、一本見たら全部見たくなるのがこのシリーズのすごいところではあるのだが。  山田監督は47、48作を無理に渥美さんに撮ってもらったと語っていた。実のところ、90年代から年2回の公開を年1回に減らし、寅さんは脇役にまわっていて、甥の満男が代わりに主役となり(1作目では生まれてもいないのに、それから作品を経るごとにすくすく成長し、ついには二代目寅さんになってしまう。ここに本シリーズの雄大さを感じずにはおれない)、寅さんは満男に人生を教える役でしかなかったのだが、46作目で久しぶりに奮闘していたことはファンにとっては嬉しかったであろう。しかし47作目で、いつものオープニングの渥美さんの歌声が枯れていることが、その2年後に死ぬことを思い起こすと、寂しい歌声に聞こえてたまらなくなってくる。おなじみ名調子の「寅さんのアリア」も47作目となると熟しきっていて、つい涙があふれてくるワンシーンとなった。  48作目では声も枯れ、じっと座って滅多に動かなくなった。山田監督は二大マドンナの浅丘ルリ子さんと後藤久美子さんの二人をまとめて出演させ、寅さんも寅さんなりにプロポーズし、二代目寅の満男も愛の告白をして、一応シリーズは完結した。そのことが渥美さんを安心させたのか、とうとう渥美さんは安らかに眠ってしまった。もう二度と寅さんの恋話を見ることができないと思うと、僕はすごく寂しくなって、48作目のラストシーンでは涙がとまらなかった。何か僕は人生の楽しみをひとつ失ったような気さえしたもので、僕の夢の中にまで寅さんが出てきたのである。  渥美さんの死後、「寅さん」に対する観客の見方はずいぶん変わったといわれている。ただゲラゲラ笑っていたこのシリーズが、渥美さんの死後見てみると、哀愁たっぷりに見えてくるというのである。僕は渥美さんが生きているうちに一本も「寅さん」を見たことがないのが悔しい限りだ。僕は、一本でもいいから、できれば渥美さんが生きているときにリアルタイムで「寅さん」を見たかった。 寅さんの決まり文句 「ケッコウ毛だらけ猫灰だらけお尻のまわりはクソだらけ」 「たいしたもんだよ蛙のションベン」 「ヤケのヤンパチ陽焼けの茄子…」 「物の始まりが一ならば国の始まりが大和の国…」 「東京は葛飾柴又…」 「それを言っちゃおしまいよ」 「決まってるじゃねえか」 「そこが渡世人のつれえところよ」 「今日はこの辺でお開きってことにするか」 「釣りはいらないよ」 「労働者諸君!」 「インドウにかげりがある」 「止めるなよ、さくら」 「博と仲良くな」 「あめ玉のひとつでも買ってやってくれ」 「若い頃はずいぶん男泣かせたんだろ」 「さしずめインテリか?」 「この手の言葉は一切口にするな」 「相変わらず馬鹿か?」 「風の吹くまま気のむくままよ」 「今なんか言ったか?」 「貧しいねえ」 「俺、暇だから」 「そこまでお送りします」 「お茶一杯だけいただいたらすぐに失礼しますから」 「ご主人によろしく」 「それが愛っていうもんよ」 「男は引き際が肝心よ」 寅さんの言葉の誤り 「喫ちゃ店」=「喫茶店」 「フーケン主義」=「封建主義」 「色ノーゼ」=「ノイローゼ」 「悪げ」=「悪気」 「しょっぱい」=「酸っぱい」 「ウィスキー」=「ブランデー」

オリジナルページを表示する