ピーター・ウェラー (今週のスター)

 ミーハーとマニアは似ているようで180度意味が違う。ピーター・ウェラーはSFが似合うため、マニア受けがいい俳優だ。未来人間のイメージにぴったりで、げっそりした不健康そうな顔つきが文明崩壊後の廃墟によく合っている。彼がSFの呪縛から抜け出せずにいることは、ミーハーから見放されながらも、マニアを確実に引きつけている。僕は自他認めるマニア党だが、僕ももちろんウェラーを心から応援している。SFマニアの皆さん方もそこは公認済みである。

 推すべきは「ロボコップ」(87)、「リバイアサン」(89)、「裸のランチ」(91)、「スクリーマーズ」(96)の4本。どれもカルト中のカルトで、ウェラーのSFチックな顔つきが活かされた作品である。
 ウェラーの良さは虚しさに尽きる。役柄そのものは頼もしい役のはずだが、いつも可哀相な目をしている。勇ましさと悲哀が同居する芝居は、かつてチャールトン・ヘストンが得意としたものだが、ウェラーにもヘストンのような匂いがある。たとえば「ロボコップ」の序盤でウェラーが悪党どもに包囲されるシーンでは、あくまで冷静さを装っているが、不安になっているのもわかる。それから蜂の巣にされ、もがき叫ぶが、そのときの表情も二度と忘れられないものだ。
 人が死ぬシーンは僕も何度も見てきたが、死ぬ間際に人が何を思うのか本気で考えさせられた作品はこれが初めてだった。よくいう走馬燈のようにとかいうあれのことだ。ロボコップとして生まれ変わってからも、ウェラーの演技にはたえず虚しさがあるが、これは走馬燈をいつまでも見続けているということと見た。「ロボコップ」はバイオレンスとか政治批判とかいろいろな面で評価があるが、僕にとっては死を描いたベルイマン映画同然だった。こう言えるのもウェラーの表情ゆえである。

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