ルネ・クレール (巨匠の歴史)

トーキー映画を形にした世界的名匠

Rene Clair (1898~1981)   ●世界4大雛形を立てた一人
 フランス映画界の最も古い監督クレールは、フリッツ・ラング(ドイツ映画界)、エイゼンシュタイン(ソ連映画界)、チャップリン(アメリカ映画界)と並んで、映画芸術の世界4大雛形を確立させた一人だ。時代が古すぎて、クレールはあながち有名とは言えないが、映画史において、5本の指に入る名匠であることは間違いないはずである。実に、4人の中で誰よりも早く発声映画の道を開拓し、もっともアバンギャルドな作風を見せていた。20代半ばで作った初期の「眠るパリ」と「幕間」だけにしても、クレールの才気には脱帽させる。「眠るパリ」は時間が止まってしまった世界を描写したファンタジックな現代SFだが、この時代にしてこの感性は、ラングのそれを越えている。「幕間」は画家が書いた脚本と、サティの音楽イメージを融合し、ストーリーのない超現実的な世界観を実現。ブニュエルよりも4年も早く前衛映画に着手した、他の名作とは一線を画す野心作である。

●トーキー映画はクレールが作った
 サイレントからトーキーに移行していく過程において、クレールは最も重要な人物として名を残すことになった。「ジャズ・シンガー」が最初のトーキー映画であることは有名であるが、真の意味で最初のトーキー映画は「巴里の屋根の下」だった。トーキー芸術の基礎はすべてこの作品につまっている。画面が真っ暗でも声が聞こえてくる。部屋の向こうから人の声が聞こえる。こういった”映像を省いて音で表現する手法”を大胆に試み、愛らしい歌も交えて、あくまで映像と音が共生する作品に仕上げた。同作は淀川長治氏が死ぬ前に生涯のベスト・テンの一本だと讃えている。

●詩情豊かにフランスの下町を描く
 クレールはフランスの下町を愛した。彼の描く世界観は実に愛らしかった。町そのものが主役と化し、巴里市民たちの、エスプリ、オシャレ、フレンドシップが微笑ましく描かれる。とにかくキャラクターから発されるフランス人の活気がたまらない。これはフランス喜劇映画の原点として、いつまでもお手本にされることになる。戦争で母国を離れ、英語圏の映画を撮ることになったのは、ラングと共通するが、クレールは英語圏でもキャラクターの魅力を引き出し、アメリカのソフィスティケーテッド・コメディにも影響を与えた。帰国後は、ジェラール・フィリップをフランス最高のスターに育てた。

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