ユーリ・ノルシュテイン (巨匠の歴史)

 アニメーション映画の世界は、実写映画の世界とはまったくの異業種である。大勢のスタッフで作品を量産している実写映画業界とは違って、アニメーターたちは小さなサークルの中で地道に制作を続けているため、アニメーター同士の交流は篤い。その世界で、数多くのアニメーターたちが師と仰ぐ人物がユーリ・ノルシュテインである。アニメ大国日本には10回以上訪れており、高畑勲、川本喜八郎もノルシュテインと親交を深めた。かの手塚治虫もノルシュテインを尊敬し、ノルシュテインからもらったサインを書斎に飾っていたという。

 デビュー作は「狐と兎」。切り紙を使ったアニメーションで、その詩的な映像が高く評価された。続く「あおさぎと鶴」では、切り紙にして、奥行きを感じさせる立体的な映像を作り出した。
 間もなく「霧につつまれたハリネズミ」を発表。これは誰も見たことのない映像感覚であった。まさに手作業の神業。タイトル通り霧につつまれた幻想的な小世界。囁き声で話す動物たち。ほのかな光。空気の冷たさが伝わってくるような臨場感。とても切り紙とは思えない立体感。CGでは表せない生きた映像。この世界に入るきっかけになったセルゲイ・エイゼンシュテインの影響も随所に見られる。これは、日本のアニメーターをはじめ、世界中のアーティストに影響を与え、ノルシュテインは「映像の詩人」と言われるようになる。「霧につつまれたハリネズミ」の技法をもっと膨らました30分(個人制作アニメーションで30分は長い方である)の映像詩「話の話」は、ストーリーは複雑だが、日本・アメリカなどで史上最高のアニメーション映画という評価をもらい、10個近い賞を獲得した。ノルシュテインはたったの6年で発表した僅か4本の短編だけで、最も有名なアニメーターになったのである。

 20年以上もかけてまだなお現在制作中の新作「外套」(ゴーゴリ原作)は、モノクロームの大作になる予定。仮公開されたプロトタイプにしてアニメーターたちを驚かせた。完成が待たれる。

 ノルシュテインは後進の育成にも尽力している。日本では毎年ラピュタアニメーションフェスティバルに参加し、ワークショップを開いて日本の学生達の前で講義している。

1941年ロシア郊外に生まれる。61年映画会社ソユーズムリト・フィルムに入り、「チェブラーシカ」のロマン・カチャーノフに師事。「イワンと仔馬」で有名なイワノフ・ワノーの助監督となる。73年「狐と兎」で初の単独監督作品発表。79年ソ連国家賞、91年アンドレイ・タルコフスキー記念賞受賞。

オリジナルページを表示する