宮川一夫 (巨匠の歴史)

日本映画史の至宝
(1908~1999)
太秦の撮影監督。黒澤、溝口、小津といった世界的に名高い日本映画の巨匠たちのもとで、日本映画の将来を背負った。    ●稲垣浩監督との出会い
 1926年、宮川は日活京都の撮影所現像部に見習いとして入社し、29年、撮影部に異動。山中貞雄に気に入られ、プロのカメラマンの道を着々と歩み始める。やがて稲垣浩と出会い、37年ようやくプロデビュー。以後は稲垣とコンビで傑作を発表していく。その作品群の中でひときわ輝く「無法松の一生」は、詩のような映像美を醸し出していた。

●黒澤明監督との出会い
 本格的な成功を掴むのは、黒澤明のもとについてからである。黒澤が大映京都で製作した「羅生門」は、世界的に絶賛された最初の日本映画であり、日本映画を世界に広めたきっかけとなった作品であるが、この作品で何より高く評価されたのは宮川の光と影のダイナミックな映像美であった。黒澤は宮川をとても気に入り、これからの作品も一緒に作りたいと望んだのだが、結局再び組むことになるのは10年以上も後になってしまった。

●溝口健二監督との出会い
 黒澤の次は、溝口健二の作品を担当することになる。溝口も宮川も、当時は絶頂期といってよく、「雨月物語」、「山椒大夫」、「近松物語」など、次々と日本映画史に残る名作を放っていく。世界的にも評価されたものが多く、溝口の名は世界に轟くのである。溝口作品の映画は女性がとても美しく、また構図が素晴らしい。これは宮川の力なのである。

●市川崑監督との出会い
 溝口の死後も人気カメラマンとしてひっぱりだこだった宮川は、吉村公三郎の作品でカラー撮影にも意欲的になってきた。
 やがて市川崑監督の仕事も任されることになり、「炎上」に始まり、「おとうと」、「破戒」など、市川の代表作を見事な腕前で撮影、数々の映画賞を総なめしていく。市川とは「鍵」も担当しているが、相変わらず京マチ子を撮らせて上手い。

●篠田正浩監督との出会い
 宮川は衰えなかった。テレビCMにおいても屈指の名作(お酒のCMだったかな?)を残している宮川は、篠田正浩監督から尊敬され、「はなれ瞽女おりん」などを撮影している。70代になっても宮川の挑戦は続き、何と80歳を越えても「舞姫」ではカメラを回していた。
 宮川の光と影の織りなす映像は全世界の映画ファンたちを感動させ続けた。宮川がいたからこそ、黒澤は世界一になれた。宮川の50年以上のキャリアは、日本映画史そのものといっていいだろう。

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