マイケル・チミノ (巨匠の歴史)

アメリカ一のお騒がせ監督 
Michael Cimino (1939~)   ●絵画に興味を持つ
 マイケル・チミノはイタリア系で、父は音楽家である。幼くして絵画に興味を持ち、特に絵画における建築的な描写に影響を受けて、エール大で建築・絵画を学ぶ。卒業後は演劇に興味を持ち、バレエなどを始め、そのつてで映画業界に入り込んだ。最初はテレビのディレクターや、コマーシャル作家として、ゼネラル・モーターズなどのCFやPR映像を撮影、CM業界の賞を多数受ける。同じ頃、ドキュメンタリー製作や脚本執筆も続けていたが、SF作家のダグラス・トランブル、アクションスターのクリント・イーストウッドらに認められ、着々と仕事をこなし、ようやく劇映画監督第一作「サンダーボルト」を完成させる。第一作とは思えない個性的タッチの男性映画であった。


●「ディア・ハンター」が話題に
 出世作は何といっても監督二作目の「ディア・ハンター」(左写真)。ベトナムをテーマにした反戦映画だが、ロシアンルーレットのシーンなどが社会問題になるほど話題になり、結果的にアカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞する。ただし、人種偏見との批判もあった。その後もチミノは何かと問題作を発表。社会のスキャンダラスな一面をえぐった。芸術か偏見か、いつもチミノは世間を騒がせた。


●大手映画会社を倒産させる
 チミノを語るとき、忘れてならないのが「天国の門」。3時間を超える壮大な西部開拓物語であるが、製作費を使うだけ使ったわりには(総額3600万ドル)、出来は大してよくなく、マスコミから「大失敗作」と酷評され、客入りが悪いまま打ち切り。封切り前まで実力トップだった映画製作会社ユナイテッド・アーチスツを見事に倒産させてしまった。酷評の裏には、映画に対する社会批判の反感の意味があったためとも言われているが、とにかくチミノは事実上これがきっかけでハリウッドから永久に無視されることになる。この大破産事件は、他の映画会社の教訓にもなったのだし、ひょっとするとチミノは映画のマーケティングそのものの概念を動かしてしまった張本人なのかもしれない。
 それから後は、イタリアの名プロデューサー、ディノ・レ・ラウレンティスに助けられて、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」など、人種問題をからめた野心作を少しずつ世に送り出している。

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