フランソワ・トリュフォー (巨匠の歴史)
映画評論家であり映画作家であった映画マニア
Francois Truffaut
(1932~1984)
ヌーベルバーグ派を代表する一人。
「アメリカの夜」はアカデミー賞に輝く。
ちなみに、
スピルバーグの「未知との遭遇」では
俳優として出演している。 ●きっかけは学校をサボって見た映画
トリュフォーの映画には自伝的なものが多いので、彼がやくざな青年だったということは、察しがつくが、彼の映画人生のきっかけというものが、サボタージュだったというのも興味深い。
映画狂だったトリュフォーは、「悪魔が夜来る」という映画が封切られたその日、学校をサボってまで見に行った。ところが、その夜、おじに同じ映画館に連れていってもらうことになった。「この映画はもう見た」などと言えば、学校をサボったことがバレてしまうので、仕方なくトリュフォーはその映画を二度も見てしまう羽目に・・・。ところがそれがこの青年の映画熱を燃え上がらせたのである。
映画史上、トリュフォーほど映画を愛した映画監督はいない。トリュフォーは最高の映画マニアであり、最高の映画評論家であり、最高の映画監督であった。
●ヌーベルバーグを代表する天才青年
映画を愛した青年が、フランスの新しい波となる。ヌーベル・バーグである。トリュフォーはヌーベル・バーグの旗手として、はたまた<映画の墓堀人>として、未だかつてなかった映画手法と、古典とを融合させた。彼の初の本格的な映画「大人は判ってくれない」は、知識人にショックを与えた。ついで「突然炎のごとく」の自由奔放な映画作りに巨匠たちが悔しがったのである。
共感しやすい映画を好み、自分も恋愛ものを多く撮影。思春期から的確に恋心を掴み、まさしく恋を描かせて右に出るものはいない監督である。僕も「二十歳の恋」、「夜霧の恋人たち」には感嘆せざるを得なかった。
●とことん毒のきいた映画批評
トリュフォーは監督になる前から(監督になってからもずっとだが)映画評論家として「カイエ・デュ・シネマ」の映画評を書いていた。
フランスの批評家がみな自己中心的であるように、トリュフォーの映画批評もまたとことん生意気で毒のきいた独断のものである。彼はジャン・ルノワール、アルフレッド・ヒッチコック、チャールズ・チャップリン、ハワード・ホークス、オーソン・ウェルズをこよなく愛していたが、自分の性格に合わない監督は大いにけなしたものだ。
彼の批評というものは個人的な解釈で済ませているものばかりだが、ゆえに、彼がどれだけ優れた観察力・洞察力を持ち、どれだけ自分に過剰な自信を持っていたか。そしてどれだけ映画というものに狂っていたか、わかるというものだ。現に、彼の映画は全て素晴らしかった。
●大衆が一番怖い
彼は批評を大切にしていた。彼は批評をけなすものをこてんぱんにこけにした。むしろ、彼が恐れていたものは大衆だったかもしれない。
トリュフォーはこういっている。「映画監督の敵は、プロデューサーでも映画館主でも批評家でもない。真の敵は大衆である。大衆が映画界の人間たちをやっつけることなど、たやすいことだ」 しかしむしろこの言葉は、自分よりも映画をわかっていない監督に向けて発した言葉なのであろう。
例のように、トリュフォーの発言はことごとく名言であった。トリュフォーの生き様が、世界中の映画青年たちをどれだけ燃え上がらせたか。僕もトリュフォーの映画人生を見て「これだ!」と思った熱烈なファンの一人なのだ。
Francois Truffaut
(1932~1984)
ヌーベルバーグ派を代表する一人。
「アメリカの夜」はアカデミー賞に輝く。
ちなみに、
スピルバーグの「未知との遭遇」では
俳優として出演している。 ●きっかけは学校をサボって見た映画
トリュフォーの映画には自伝的なものが多いので、彼がやくざな青年だったということは、察しがつくが、彼の映画人生のきっかけというものが、サボタージュだったというのも興味深い。
映画狂だったトリュフォーは、「悪魔が夜来る」という映画が封切られたその日、学校をサボってまで見に行った。ところが、その夜、おじに同じ映画館に連れていってもらうことになった。「この映画はもう見た」などと言えば、学校をサボったことがバレてしまうので、仕方なくトリュフォーはその映画を二度も見てしまう羽目に・・・。ところがそれがこの青年の映画熱を燃え上がらせたのである。
映画史上、トリュフォーほど映画を愛した映画監督はいない。トリュフォーは最高の映画マニアであり、最高の映画評論家であり、最高の映画監督であった。
●ヌーベルバーグを代表する天才青年
映画を愛した青年が、フランスの新しい波となる。ヌーベル・バーグである。トリュフォーはヌーベル・バーグの旗手として、はたまた<映画の墓堀人>として、未だかつてなかった映画手法と、古典とを融合させた。彼の初の本格的な映画「大人は判ってくれない」は、知識人にショックを与えた。ついで「突然炎のごとく」の自由奔放な映画作りに巨匠たちが悔しがったのである。
共感しやすい映画を好み、自分も恋愛ものを多く撮影。思春期から的確に恋心を掴み、まさしく恋を描かせて右に出るものはいない監督である。僕も「二十歳の恋」、「夜霧の恋人たち」には感嘆せざるを得なかった。
●とことん毒のきいた映画批評
トリュフォーは監督になる前から(監督になってからもずっとだが)映画評論家として「カイエ・デュ・シネマ」の映画評を書いていた。
フランスの批評家がみな自己中心的であるように、トリュフォーの映画批評もまたとことん生意気で毒のきいた独断のものである。彼はジャン・ルノワール、アルフレッド・ヒッチコック、チャールズ・チャップリン、ハワード・ホークス、オーソン・ウェルズをこよなく愛していたが、自分の性格に合わない監督は大いにけなしたものだ。
彼の批評というものは個人的な解釈で済ませているものばかりだが、ゆえに、彼がどれだけ優れた観察力・洞察力を持ち、どれだけ自分に過剰な自信を持っていたか。そしてどれだけ映画というものに狂っていたか、わかるというものだ。現に、彼の映画は全て素晴らしかった。
●大衆が一番怖い
彼は批評を大切にしていた。彼は批評をけなすものをこてんぱんにこけにした。むしろ、彼が恐れていたものは大衆だったかもしれない。
トリュフォーはこういっている。「映画監督の敵は、プロデューサーでも映画館主でも批評家でもない。真の敵は大衆である。大衆が映画界の人間たちをやっつけることなど、たやすいことだ」 しかしむしろこの言葉は、自分よりも映画をわかっていない監督に向けて発した言葉なのであろう。
例のように、トリュフォーの発言はことごとく名言であった。トリュフォーの生き様が、世界中の映画青年たちをどれだけ燃え上がらせたか。僕もトリュフォーの映画人生を見て「これだ!」と思った熱烈なファンの一人なのだ。