わが街 (名作一本)

■運命とは不思議なものだ
 90年代に入ってから、急にポピュラーになってきた「群像劇」。たいていの群像劇がコメディ・タッチであるのに反して、ここで紹介する「わが街」の内容は深刻で、重たいシリアス・ドラマだ。「90年代」という時代性もよく表れており、これほどよくできた群像劇は珍しく、90年代流の新式のシリアス・ドラマの形が、ほぼここに完成している。
 一般的なアメリカ映画と比較しても、このストーリーのテンポはかなりゆったりとしている。ワンシーン、ワンシーンが切実で、役者のセリフの一言一言が身につまされるようだ。何より本作では「会話」が重要な意味を持っている。ケビン・クラインが息子に車の運転を教えるシーン。ごくありふれた光景だが、それゆえに感慨深い。
 ケビン・クラインとダニー・グローバーが人生についてしみじみと語り合い、握手するシーンは最も感動的なシーンだ。静かな映像の中に、ぐっと心に響くものがある。グローバーはこのシーンを含むすべてのシーンで味のある演技を見せてくれる。不良グループに「今の世の中どうかしてる」と嘆くシーンもしかり。暗い夜の闇の中、グローバーの眼だけが大きく輝いている。
 驚くのは音楽の使い方だ。電子音楽を活用し、画面全体を重低音のビートで包み込む。これが、ただの会話シーンでさえもスリリングでミステリアスなものにしてしまう。かつてヒューマンドラマの範ちゅうでこのような音楽効果を狙った作品はなかった。90年代だからこそ、この手の音楽が観客にもすんなり受け入れられるのだろう。当サイトがこの映画を名作に推薦したのは、音楽にせよ何にせよ、90年代的な手法を貫いていたからである。
 これは「運命の不思議」を映像にしてみせた作品である。人と人との出会いは、文字通り運命的なものである。車がえんこしたことがきっかけで、心の友を得た主人公。もし車がえんこしなければ、この出会いはなかった。通り魔に襲われたことがきっかけで、優しい警察官と出会えた女性。もし通り魔に襲われなかったら、この出会いはなかった。出会いというものはそのようなもの。カスダン監督は、運命の不思議を、尊いものとして描きつつ、同時にそれをちっぽけなものとして表現する。ラストシーンのグランドキャニオンの景色は、その人生観を象徴しており、うまいの一語に尽きる。「映画」を心のメッセンジャーとするカスダン監督ならではの、真のヒューマン・ドラマである。

 



▲ロサンゼルスのとある街。車がえんこしたことがきっかけで、ケビン・クラインとダニー・グローバーは知り合った。ほんのささいな出来事がきっかけで、かけがえのない友を得る。人生とはそういうものだ。


▲人生とは映画のようなもの。映画とは人生のようなもの。カスダンの人生観を、映画プロデューサー役のスティーブ・マーチンに託している。

1991年製作
アメリカ・20世紀フォックス
製作・脚本:ローレンス・カスダン
出演:ダニー・グローバー、ケビン・クライン、スティーブ・マーチン、メアリー・マクドネル、アルフレ・ウッダード

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