詩人の血 (名作一本)

 「アバンギャルド映画」。もう古い言葉だが、これは既成の撮影方法にとらわれないラジカルな映像表現を追求した非商業映画を指して言う。20年代半ばのサイレント期から、30年代初頭にかけては、フランスでその芸術運動がさかんに行われ、「幕間」を撮ったルネ・クレールを筆頭に、写真家のマン・レイ(ダダイスム)、画家のデュシャン(ダダイスム)、ダリ(シュールレアリスム)、レジェ(キュビスム)ら、映画とは別分野の著名人たちまでもアバンギャルド映画に着手していった。その中で、最も重要な人物がジャン・コクトーである。コクトーは詩人だが、創作意欲が高じて、絵画・彫刻・演劇にも手を出し、ついには映画製作に乗り出した。もはや必然の成り行きであった。
 「映画」という絵画でも文学でもない、まったく新しい芸術に直面したコクトーは、水を得た魚のように「詩人の血」を作った。アバンギャルド映画の特徴は、内容が作り手に忠実だということである。「詩人の血」はまさしくコクトーそのものであった。ストーリーはないが、一場面一場面が実に意味深な映像になっている。フィルムは逆に回転しており、セットは床と壁があべこべである。これがどういう仕掛けかは、見てすぐにわかるが、だからといって安っぽい映像なのではない。詩的で美しく、ただの逆回しでさえ幻想的に見えてくる。ジョルジュ・メリエスのトリック映像を、コクトーは芸術の域まで高めているのである。
 最近の映画は、細部までこだわった複雑なトリック映像を売り物としているが、「詩人の血」のトリック映像は、いっさい余計なものがないのがすばらしい。コクトーは、映画の表現形式の神髄を、しごくシンプルに諭(さと)してくれる。この基本が後の物語映画にも応用されていき、「美女と野獣」で結晶となるのだ。



▲人の顔の形をしたオブジェ。男は導かれるままにピストルをかまえた。


▲回り続ける渦。しかし両性具有者の肉体は実体化を続けていく。

1930年製作 フランス
監督・脚本:ジャン・コクトー
撮影:ジョルジュ・ベルナール
音楽:ジョルジュ・オーリック

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