ウエスト・サイド物語 (名作一本)

ビデオで見たときの疑問
 SF映画が「2001年宇宙の旅」を境に古典SFと現代SFに大別されるように、ミュージカルも「ウエスト・サイド物語」を境に、古典ミュージカルと現代ミュージカルに大別される。それほどの作品である。だから僕も大いなる期待を胸にビデオを借りて見たのだが、そのときはとてもおもしろい映画とは思えなかった。何度か見てみたが、いっこうに良さがわからない。どうしてこれがアカデミー賞を取ったのかと、疑問に思ったものだ。

映画館で見てこそ価値がある
 やがて、僕は同作を映画館でみるチャンスを得た。そして、あまりの迫力に、電撃ショックを受けた。これはとてつもない映画だった。
 僕が以前ビデオで見たとき、つまらないと思ったのは、この映画が映画館で見てこそ栄える作品だったからである。別な言い方をすれば、本作はテレビを見る人の気持ちをこれっぽっちも考えないで撮影してある。ビデオで見たところで、役者が粗い解像度の中に埋もれてしまい、何を踊っているのか、わかるわけがない。このことが若い世代のミュージカル嫌いを助長している元凶ではないかと僕は考えている。ミュージカルだけは決してテレビで見るべきではないのだ。
 映画館では、横幅が縦の倍以上もあるスクリーンの中を、縦横無尽に駆け回るジョージ・チャキリスのダンスが、ダイナミックに目前に広がり、圧倒的である。よくみるとチャキリスの動きはとてもエレガントであることにも気づく。こんなディテールは、小さいテレビ画面を見ていて気づくまい。
 僕が一番気に入っているのは、体育館でのジャズ・ダンスの場面である。踊れるものなら踊ってみろといいたくなる難しいダンスである。ビデオではわからなかったが、セットや衣裳の色遣いからして印象深い。「マンボ!」のかけ声のところでは、座席が重低音でズンズンズンと揺れるのだが、この臨場感もテレビではまず再現不可能だ。

一つの料理に二人のシェフ
 本作の監督が二人いることは有名である。優しい監督ロバート・ワイズと、鬼監督ジェローム・ロビンスという対極的な二人が、同時に仕事を開始した。ロビンスは役者達から信頼されていたが、振り付けに余念が無く、役者・スタッフの体力も限界に達した。踊りの練習をさせてばかりで、まったく撮影が進まないため、ロビンスはほとんど何も撮らぬまま降板となる。よって、本作はワイズの監督作品と見なすのが正しいのだが、大人数によるダンス・シーンのアンサンブル、「クール」シーンの、かつてない振り付けのセンスからしても、ロビンスがあらかじめ大勢の役者を教育し、やる気を奮い起こしておかなければ、このような傑作にはならなかった。その敬意を表して、クレジットは共同監督ということとなった。
 一方ワイズは、舞台劇では不可能な映画的な演出を重視する。ナタリー・ウッドが白いドレスを着て、くるりと舞うシーンで、ナタリーの体がカラフルなライトに照らされていくアイデアは、もちろんワイズの発想である。オープニングの真上から捉えたニューヨークの映像も、ワイズならではの映画的美学に裏打ちされている。
 よく、アメリカ版「ロミオとジュリエット」という風に評される作品だが、この際そのようなことは忘れてもらいたい。なぜって、純粋に歌と踊りと音楽に酔いしれて欲しいからである。

 



▲2002年に映画館でリバイバル上映。本来の迫力が甦った。
 

←むかしビデオで見たときの印象はこんな感じだった。上の写真と同じ映像なのだが、画面は小さいし、音はしょぼいし、色はくすんでいて汚いし、いったいこれのどこがいいのか、僕にはとても理解できなかった。
 

▲体育館のジャズ・ダンス。ズンズンズンと大音響が鳴り響き、僕の体内には電撃が走った。


▲ベースギターと指パッチン。「クール」のシーンの振り付けは革新的だ。古いミュージカルはこの一曲によって滅ぼされた。


▲ただ真上から撮っただけだが、映画館で見ると印象はかなり変わる。見たことのないニューヨーク。ワイズならではの名場面である。

1961年製作 ユナイテッド・アーチスツ
製作:ロバート・ワイズ/監督:ジェローム・ロビンス
音楽:レナード・バーンスタイン
出演:リチャード・ベイマー、リタ・モレノ

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