ネバーエンディング・ストーリー (名作一本)
1984年西ドイツ映画
映画「ネバーエンディング・ストーリー」
ファンタジー映画の中でも最高傑作にあげたい一本。フリッツ・ラングを思わせるドイツらしいシアトリカルなセットデザインと、絵画的なクリーチャーデザイン、幻想的なシンセサイザー音楽。鬼と小人と岩男が集会するシーンや、巨大亀とアトレーユの合成映像などは、今見ても新鮮に映る。
目を見張るのは実態を持たない「虚無」の映像。監督のペーターゼンは煙のような映像でこの虚無をシュールに表現している。そもそも本作の舞台であるファンタージェン国は主人公バスチアンの想像によって作り出されたもので、虚無というのはバスチアンのイマジネーションの欠落である。ファンタージェン国の物質は、この虚無に呑み込まれると、その世界に存在しなかったことになってしまう。ともすればバスチアンも人間社会そのものも実態のないものであるとの仮説さえも浮かんでくる。この子供映画とは思えぬ重厚な哲学観。ミヒャエル・エンデがこの原作を書いたのは1979年。空想ものが世間に広く浸透していた時代である。剣と魔法のファンタジーというものは、ある意味どれも似たようなものばかりであったが、「ネバーエンディング・ストーリー」だけは明らかに違っていた。剣や魔法などの物理的な戦いではなく、形而上の戦いとしたことが、本作が高く評価されているところである。
ラストシーンの「願い事は好きなだけ叶えられる」という台詞も好きである。芸術にネタ切れがないことを教えてくれる希望の言葉である。DVDはこちらで。
4つの「ネバーエンディング・ストーリー」
その後続編が2本作られたが、原作から離れてアメリカ・スタイルに染まってしまった2作目、罰当たりなほどふっきれた3作目共々大転落。続編といいながらも1作目とほとんどつながりがなく(またふりだしに戻ったようなストーリー)、1作目で人気が出たノア・ハザウェイとバレット・オリバーの定着しきったイメージが、子役の交替により崩れ落ちたのも敗因のひとつとなっていた。しかし2001年にテレビ界で事件が起きる。「ガリバー旅行記」など、ファンタジー小説の映像化に定評があるホールマーク社が「はてしない物語」の再映像化を実現させた。それが「ネバーエンディング・ストーリー/遙かなる冒険」(2001年ドイツ・カナダ合作テレビ番組)だ。VTR撮影方式で、監督も一人の手によるものではないが、CMを含む8時間の長尺で、特番なりに丹念に作られている。
テレビ「ネバーエンディング・ストーリー」
テレビ版のスケールは映画版に比べると幾分か小さい気もするが、映画版にはない様々な出来事が描かれている。雰囲気や情緒を重視させた映画版一作目とは違い、出来事ばかりを羅列させて8時間見せていくというもので、展開は面食らってしまうほど早い。テレビ放送用のため、CMの前でわざと盛り上げたり、CMの後でそれまでの粗筋のようなものを見せられるのも気になったが、そのテレビ体制の中でこれだけの大作を作ったと思うと大した物ではないか。
どちらかというとファンタージェン国の物語というよりは現実世界のウェイトの方が上だというのも特徴で、映画版ではトレードマークのような存在だったファルコンもテレビ版ではわずか5分程度しか登場せず、映画版でアトレーユに襲いかかったグモルクもテレビ版では現実世界に現れてずっとバスチアンを付け回す。ウケを狙ったシーンも多く、ノリとしては映画版の3作目に近く、セットデザインは2作目ぽい。映画で見られたような虚無の映像表現は見られず、その代わり映画にはなかった剣と魔法のシーンが見られる。バスチアンの恋愛も描かれるが、四角関係になって結構フクザツ。
劇場用映画のアトレーユ
不思議な怪物たちが棲むファンタージェン国において、幼心の君とアトレーユだけが人間と似た風貌なので、特別な存在という印象が強い。冷静でかしこい勇者である。
テレビドラマのアトレーユ
同じ部族の仲間たちが大勢登場するため、アトレーユだけが特別という印象が薄い。自分自身も選ばれし者だという実感がなく、どこか頼りない。人間の世界に行ってスケボーに乗る一面も。
日本語吹き替え版豆知識
日本語吹き替え版の声優さんも濃い。市販ビデオの吹き替え版で映画1作目のバスチアンと映画2作目のバスチアンの声を吹き替えた浪川大輔さんは「子役は女性の声優が吹き替える」というジンクスを打ち破ったすごい声優だと思うし、僕と同級生とあって、僕もすごく応援してるんだけど、その浪川さんがテレビ版で今度はアトレーユ役をやっているのが嬉しい。浪川さんの声は「素晴らしき日々」の頃と比べて大分変わった。なお、テレビ放送用の吹き替えでは、映画1作目のアトレーユ役を吹き替えた佐々木優子さんが、映画2作目ではバスチアン役を担当していた。偶然なのか狙ったのか?
映画「ネバーエンディング・ストーリー」
ファンタジー映画の中でも最高傑作にあげたい一本。フリッツ・ラングを思わせるドイツらしいシアトリカルなセットデザインと、絵画的なクリーチャーデザイン、幻想的なシンセサイザー音楽。鬼と小人と岩男が集会するシーンや、巨大亀とアトレーユの合成映像などは、今見ても新鮮に映る。
目を見張るのは実態を持たない「虚無」の映像。監督のペーターゼンは煙のような映像でこの虚無をシュールに表現している。そもそも本作の舞台であるファンタージェン国は主人公バスチアンの想像によって作り出されたもので、虚無というのはバスチアンのイマジネーションの欠落である。ファンタージェン国の物質は、この虚無に呑み込まれると、その世界に存在しなかったことになってしまう。ともすればバスチアンも人間社会そのものも実態のないものであるとの仮説さえも浮かんでくる。この子供映画とは思えぬ重厚な哲学観。ミヒャエル・エンデがこの原作を書いたのは1979年。空想ものが世間に広く浸透していた時代である。剣と魔法のファンタジーというものは、ある意味どれも似たようなものばかりであったが、「ネバーエンディング・ストーリー」だけは明らかに違っていた。剣や魔法などの物理的な戦いではなく、形而上の戦いとしたことが、本作が高く評価されているところである。
ラストシーンの「願い事は好きなだけ叶えられる」という台詞も好きである。芸術にネタ切れがないことを教えてくれる希望の言葉である。DVDはこちらで。
4つの「ネバーエンディング・ストーリー」
その後続編が2本作られたが、原作から離れてアメリカ・スタイルに染まってしまった2作目、罰当たりなほどふっきれた3作目共々大転落。続編といいながらも1作目とほとんどつながりがなく(またふりだしに戻ったようなストーリー)、1作目で人気が出たノア・ハザウェイとバレット・オリバーの定着しきったイメージが、子役の交替により崩れ落ちたのも敗因のひとつとなっていた。しかし2001年にテレビ界で事件が起きる。「ガリバー旅行記」など、ファンタジー小説の映像化に定評があるホールマーク社が「はてしない物語」の再映像化を実現させた。それが「ネバーエンディング・ストーリー/遙かなる冒険」(2001年ドイツ・カナダ合作テレビ番組)だ。VTR撮影方式で、監督も一人の手によるものではないが、CMを含む8時間の長尺で、特番なりに丹念に作られている。
テレビ「ネバーエンディング・ストーリー」
テレビ版のスケールは映画版に比べると幾分か小さい気もするが、映画版にはない様々な出来事が描かれている。雰囲気や情緒を重視させた映画版一作目とは違い、出来事ばかりを羅列させて8時間見せていくというもので、展開は面食らってしまうほど早い。テレビ放送用のため、CMの前でわざと盛り上げたり、CMの後でそれまでの粗筋のようなものを見せられるのも気になったが、そのテレビ体制の中でこれだけの大作を作ったと思うと大した物ではないか。
どちらかというとファンタージェン国の物語というよりは現実世界のウェイトの方が上だというのも特徴で、映画版ではトレードマークのような存在だったファルコンもテレビ版ではわずか5分程度しか登場せず、映画版でアトレーユに襲いかかったグモルクもテレビ版では現実世界に現れてずっとバスチアンを付け回す。ウケを狙ったシーンも多く、ノリとしては映画版の3作目に近く、セットデザインは2作目ぽい。映画で見られたような虚無の映像表現は見られず、その代わり映画にはなかった剣と魔法のシーンが見られる。バスチアンの恋愛も描かれるが、四角関係になって結構フクザツ。
劇場用映画のアトレーユ
不思議な怪物たちが棲むファンタージェン国において、幼心の君とアトレーユだけが人間と似た風貌なので、特別な存在という印象が強い。冷静でかしこい勇者である。
テレビドラマのアトレーユ
同じ部族の仲間たちが大勢登場するため、アトレーユだけが特別という印象が薄い。自分自身も選ばれし者だという実感がなく、どこか頼りない。人間の世界に行ってスケボーに乗る一面も。
日本語吹き替え版豆知識
日本語吹き替え版の声優さんも濃い。市販ビデオの吹き替え版で映画1作目のバスチアンと映画2作目のバスチアンの声を吹き替えた浪川大輔さんは「子役は女性の声優が吹き替える」というジンクスを打ち破ったすごい声優だと思うし、僕と同級生とあって、僕もすごく応援してるんだけど、その浪川さんがテレビ版で今度はアトレーユ役をやっているのが嬉しい。浪川さんの声は「素晴らしき日々」の頃と比べて大分変わった。なお、テレビ放送用の吹き替えでは、映画1作目のアトレーユ役を吹き替えた佐々木優子さんが、映画2作目ではバスチアン役を担当していた。偶然なのか狙ったのか?