フランクリン・J・シャフナー (巨匠の歴史)

 一般に娯楽スペクタクル映画の雄と言われてきた監督である。作品に自分なりの主義主張を入れることはあまりなく、娯楽的に優れた作品を作ることを重んじていた監督で、作品数こそ少ないが、ロバート・ワイズと同じく、60年代後期から70年代にかけての娯楽映画の基礎を築いた重要人物である。
 シャフナーが手がける娯楽大作の秘訣は「スターの起用」である。映画とは「スターを見にいくもの」という大多数のアメリカ人の意見を、シャフナーは常に理解していた。たとえば、B級扱いされていたSFのジャンルに大胆にもチャールトン・ヘストンを起用して撮った「猿の惑星」は、その後のSF映画の方向性を変えるほどの成功を収めた。
 シャフナーが好んで起用する役者は、濃厚な顔つきの、個性派俳優ばかりであった。「パットン大戦車軍団」ではジョージ・C・スコット、「パピヨン」ではマクイーンとダスティン・ホフマン。「ブラジルから来た少年」では、もはや皺だらけになったローレンス・オリビエ、グレゴリー・ペックという二大スターを起用し、「彼らだからこそ」と思わせる一風変わったスリラー映画の製作を実現させ、映画ファンを驚かせた。
 役者を第一に立てることで、作品全体をひきしめる。ただそこに立っているだけでも味わいのある役者たちの演技は、ストーリーよりも、むしろ登場人物の印象を観客に焼き付けるが、その印象は、やがては作品そのものの印象へと変わることを、シャフナーは気づいていた。

1920年5月30日東京生まれ。6歳のときにアメリカへ帰国。大学では政治を専攻。第二次大戦では海軍将校となる。25歳でCBSのTVディレクターとなり、二度のエミー賞に輝く。43歳になってようやく映画界へと進出。70年に「パットン大戦車軍団」でアカデミー賞監督賞を受賞。89年死去。

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