八月十五夜の茶屋 (名作一本)

1956年MGM映画
監督:ダニエル・マン
原作:ヴァーン・スナイダー
脚本:ジョン・パトリック

出演:
グレン・フォード、マーロン・ブランド、京マチ子、エディ・アルバート、ポール・フォード
 
知ってた?
「ランナウェイ方式」

第二次世界大戦後、アメリカ映画が世界中に輸出されたが、輸出先の外貨事情が悪いために収益金が凍結していた。映画会社はそれを回収するために海外ロケで映画を製作。映画業界の50年代半ばの傾向であり、これを当時はランナウェイ方式と呼んだ。海外で製作すると製作費も節約できるというメリットがあった。「八月十五夜の茶屋」、「八十日間世界一周」(56年)などはランナウェイ映画である。


マーロン・ブランドが日本人役に挑戦?
 これは日本を舞台にしたハリウッド映画です。アメリカに占領された沖縄を舞台に、一人のアメリカ兵と村の住人達の交友を描いています。

 たいていこの手の作品は、国侮辱も甚だしいものですが、本作には一切そのような誤解がありません。多少文化描写が大袈裟なところもありますが、それはアメリカ人の描写にも言えることであり、ジョークと割り切ってみられます。
 日本文化を表現する手段として、アメリカ人はよく銅鑼を使いたがりますが、本作では敢えて銅鑼は使わず、琴を使っているところが功を奏しています。「さくらさくら」をバックにかぶせて、とてもいい感じで日本文化が表現されています。
 戦時中の沖縄を舞台にしたことも成功のゆえんでしょう。当時の沖縄は、今の僕たちからしてみれば、異国のように見えてしまいます。その「日本らしくない日本」という曖昧さが、アメリカ人と日本人の交流を調和させる決め手だったのではないかと思います。これはとても不思議な感覚です。開巻のふすまがパカパカと開いていくシーンから、「お伽の国へご招待」みたいな調子で、とてもワクワクさせられます。

 マーロン・ブランドが狂言回しの日本人役を演じていますが、彼が登場した途端、なにか未知なる期待を抱かせます。ブランドはふざけて、とてもうまいです。メイクから文句なしですが、身振り、しゃべり方、おどおどした雰囲気、頓知のきいたセリフと、とにかく面白いです。「あ~そ~」が口癖で、なかなか日本語も様になっています。前半部分はブランドがこの様な芝居をしていることが最も驚くべきことだと思います。僕自身、ブランドのキャラクターではこれが一番気に入ってます。というとブランドのファンに失礼かもしれませんが、本当に面白いのですからそう思うのです。

 登場人物は皆、おかしさたっぷりです。キャプラ映画にも似た、当時のハリウッド映画のユーモアの典型を、日本文化に融合させて、そのおかしさはどんどん膨らみます。中盤からグレン・フォードが登場しますが、フォードはもともと正義感のあるヒーロー肌の役が多い役者でして、初登場のシーンでもその様なイメージを醸し出しています。とりあえずは唯一「まとも」なキャラに見えてきます。ブランドのボケに、フォードが真面目にツッコミを入れるやりとりが、前半のちょっとした見どころです。
 しかし後半からはフォードもボケ役にまわり、ついには登場人物全員がボケ役となってしまいます。エディ・アルバートも園芸マニアの兵士役で出てきますが、これがまたかなりのボケ役でして、僕も大声で笑ってしまいました。ブランドのボケが天然ボケであるのに対して、フォードとアルバートは幸せボケという感じで、そのボケ具合がひとつの境界線を越えてしまってからは、もう見ているこっちまで幸せな気持ちで満たされていきます。前半と後半の大きなギャップがたまりません。

 ところで、日本人を代表して、京マチ子さんが出演しています。真っ白な顔をした芸者役です。日本語しか話しませんが、彼女のお茶目な性格と、フォードの幸せボケがうまいように絡み合っています。彼女は日本舞踊も披露してくれますが、やはり本作は日本文化を見せる映画なので、演舞はまったくカットしていません。京マチ子さんはお綺麗で大変お上手です。当時の鮮やかな発色のカラーフィルムが、次々と変わる着物のコントラストを引き立てています。こんなにも真面目に日本舞踊を見せてくれる映画は日本映画にも少ないと思うので、俄然嬉しくなります。僕もこれを見て「芸者」の見方が変わりました。

 本作を日本文化を茶化したB級映画だと勘違いしてもらっては困ります。内容はきちんとまとまっていますし、冗談抜きに面白い傑作です。抱腹絶倒とはこのことです。

オリジナルページを表示する