フランク・キャプラ (巨匠の歴史)

アメリカン・ドリームを映像化した監督
Frank Capra(1897~1991)
イタリアのシチリア島出身。
ハリウッド映画最盛期に、
最高の映画監督として名を馳せた。
アカデミー監督賞を5年間で
3度受賞した驚異の記録保持者。
代表作「素晴らしき哉、人生!」は、
アメリカでは毎年クリスマスの日に
必ず放送される人気だ。
 
●ロバート・リスキンと黄金時代を築く
 31年、キャプラは「プラチナ・ブロンド」を映画化するため、ライターのロバート・リスキンと出会う。同い年だったリスキンとはすぐに打ち解け合い、その後、リスキンの脚本による「狂乱のアメリカ」、「一日だけの淑女」などを演出、次々と傑作を生み出すことになる。このコンビは「或る夜の出来事」、「オペラ・ハット」、「我が家の楽園」の3本で究極的なものとなり、ハリウッドの黄金時代を築くことに。かくして2人はコロンビア映画社の救世主として、30年代の映画界に堂々と君臨した。

●”キャプラ・タッチ”
 キャプラ・タッチがいたるところに見られる映画が39年の「スミス都へ行く」である。キャプラという監督を知る上では、マストである。
 キャプラの映画は、いつも独特だった。絵にかいたような正直者の主人公が、権力者の圧力と戦うというのがスタイル。善悪がはっきりしている社会派コメディに特に定評があった。キャプラの映画にはしょっちゅう新聞のフロントページが出てきたものだ。
 キャプラ映画は、ラストになると、温もりに満ちた展開になる。人生の素晴らしさを謳った映画になる。キャプラは、映画の中で常にアメリカン・ドリームを映像化していた。この演出を、世間はキャプラ・タッチと呼んだ。
 今でも、心温まる映画のことをキャプラ・タッチということがあるが、それだけキャプラの映画は暖かく、印象深かった。

●誠実な主人公
 キャプラの映画が我々にとって愛すべき存在になりえた理由としては、主人公の誠実さが一番の所以である。「スミス都へ行く」のジェームズ・スチュアートは正義感に溢れているし、「群衆」のゲーリー・クーパーは”アメリカの誠実”の代名詞だ。スチュアートとクーパーが、アメリカでどれだけ信頼されていたスターだったのかは、言うまでもないだろう。

●微笑ましいラブ・コメディ
 キャプラ映画の全ての特徴として、思わずくすくすと笑ってしまう恋愛描写がある。アカデミー賞を受賞した「或る夜の出来事」はその点では特に優れた一本だ。出会ったばかりの男と女がヒッチハイクするロードムービーだが、シチュエーションがよくできていて、2人の行動のひとつひとつが微笑ましく描写されている。主演のクラーク・ゲーブル、クローデッド・コルベールも名演で、表情がチャーミングだった。

●「失はれた地平線」
 キャプラは壮大なスケールのドラマも1本残している。「失はれた地平線」である。理想郷シャングリラを舞台にした大作である。これは、1シーン1シーンのビジョンが、イメージが衝撃的であった。
 こういう哲学的なドラマを描かせても、感性のあるところを見せるから、いかにキャプラが偉大だったか、溜息が出るところだ。

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