ブライアン・デ・パルマ (巨匠の歴史)

パロディの巨匠
●恐怖映画作家として
 学生時代、16ミリの自主制作映画がいくつかの賞を受賞、賞金を獲得し、MCAから奨学金を得るなど、早くも映画の才能を発揮。卒業後はドキュメンタリー映画で成功し、本格的にハリウッドに入り、デ・ニーロの作品を2作手掛ける。73年「悪魔のシスター」発表。これが批評家に受け、デ・パーマの映画人生の方向を決定づける。「悪魔のシスター」は主に映像のテクニックで恐怖を描いたもので、それはさながらヒッチコック映画を彷彿とさせた。ビジュアル派の監督がなかなかいない70年代の映画界で、デ・パーマの映画は異様な輝きを放っていた。「悪魔のシスター」以後は、ホラー映画を主力にし、80年代半ばまで一徹に恐怖映画を連発。その中で、「キャリー」はホラー映画の金字塔とされている。

●名作へのオマージュ
 彼はパロディのセンスに長けていた。もともとヒッチコックの「めまい」を見て映画に入っただけあり、ヒッチコック映画に対するオマージュはことさら大きく、「殺しのドレス」、「ボディ・ダブル」、「レイジング・ケイン」などで、いかにもヒッチコック風の演出を見せている。デ・パーマ映画はどの作品も何らかのパロディを発見できる。ミステリアスで悲しき「ファントム・オブ・パラダイス」はあきらかにゴシック・ホラーのもじりであるし、「スカーフェイス」は「暗黒街の顔役」の再映画化、「ミッション:インポッシブル」はテレビ「スパイ大作戦」の劇場映画化である。転機となった大ヒット作「アンタッチャブル」ではエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段を思わせるシーンを描き、ビジュアル派としての意地を見せる。デ・パーマ独特のスロー・モーション映像は、一部のファンを魅了してやまなかった。

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