ストライキ (名作一本)

エイゼンシュタイン最初の作品
 「ストライキ」は、映画史上最高の監督のひとりエイゼンシュタインが最初に撮った長編映画である(この前に短編を1本撮っている)。私はこの「ストライキ」こそもっともエイゼンシュタインらしい作品であり、モンタージュを知るための最良の作品だと思っている。これはエイゼンシュタインの映画の中では最もバラエティに富んだ内容であり、適度にアクションとスラップスティックがあって、カリカチュア的な社会内容が盛り込まれて、彼の十八番であるドキュメンタリータッチの見せ場を存分に楽しむことができる。
 エイゼンシュタインのモンタージュ・スタイルは、同じソ連の映画作家プドフキンと比較してみても、明らかに異なるが、彼のモンタージュは斬新性を備えており、とにかくダイナミックなところが見応えがあると言える。「ストライキ」は26歳の若さで作った作品なので、頻繁に新しい見せ方に意欲的に挑戦していることがわかる。とくにダブルイメージのインパクトには頭が下がるが、またワンカットの短さも驚くばかりだ。まばたきしている暇もないほんの一瞬のカットの中に衝撃を見せている。今の映画では決してみられないようなワイプとディゾルブも見ることができる。


チャップリンとの違いについて考える
 エイゼンシュタインはチャップリンと比較されることが多いが、私もここで比較させてもらおう。そうした方がモンタージュがどういうものなのか、説明しやすいからだ。エイゼンシュタインが「ストライキ」を撮っていた頃、チャップリンは「巴里の女性」を作った。この「巴里の女性」はモンタージュ理論とはまったく対極的な作品として資料価値が高く、これがソ連の映画作家たちを戸惑わせた。
 エイゼンシュタインとチャップリンの違いは、あげればあげるほど、対照的であることがわかる。ようするにエイゼンシュタインはモンタージュ派であり、チャップリンはミザンセヌ派、その違いなのである。モンタージュ派は被写体をどう撮るかにこだわるが、ミザンセヌ派は被写体をどう演技させるかにこだわる。つまり、エイゼンシュタインは撮り方とつなぎ方にはこだわっているが、チャップリンのようにフレーム内での演技にはこだわってはいない。


演技などはどうでもいい
 エイゼンシュタインはフレーム内の演技よりも、むしろ被写体の造形そのものにこだわっているだろう。つまり視覚的・三次元的なものにこだわっている。この映画では群衆は本物の労働者に演技させているが、彼にとって演技の上手下手はどうでもいいことだったのだ。問題はいかに彼らの映像を効果的に組み立てるかである。エイゼンシュタインは工夫を重ね、群衆から叫びが聞こえてくるような効果をあげた。また群衆たちの顔の濃いシルエットを利用して、そのコントラストがいっそうモンタージュを引き締めている。どのカットをとっても写真的に素晴らしく、同作のスティルが、実はパリ装飾美術展でグランプリを取ったという逸話がある。

(第53週 「名作一本」より)

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