2001年宇宙の旅 (名作一本)

2001: A SPACE ODYSSEY
★★★★★
1968 METRO-GOLDWYN-MAYER PRESENTS

DIRECTED AND PRODUCED BY
STANLEY KUBRICK

SCREENPLAY BY
STANLEY KUBRICK
AND ATHUR C. CLARKE

 ついに2001年になってしまった。今までは近未来SFとして見られていたこの映画も、これからは別の視点から見られることになるであろう。
 キューブリックがこの映画で2001年という年代を選んだことは大変興味深いことである。
 ところがキューブリックは1999年に亡くなってしまった。キーマンを失った今、この映画の謎は更に深まっていく。
 ただし、この映画で描かれていることは、いたって時代普遍的なものであることを念頭に置いてみてもらいたい。
 僕もついにこの映画について語るときがきたか。語れば語るほど安っぽくなってしまう映画なので、もうこの映画は見てもらうのが一番てっとりばやいのだが、その一言で片付けるのもなんだから、この超大作を改めて再認識してもえればと、僕は自分流に解説してみることにした。

■VISUAL
 僕はこの映画を見て、巨大なスクリーンの意義たるや何かをひしひしと学んだ。
 もちろん僕は、最後のシネラマ映画ともいうべきこの映画を、リアルタイムで見てはいないが、一度だけリバイバル上映で見たことがある。感想だが、テレビで見るときとは全然違っていた。正直言って、テレビでは「2001年」の美しさは伝わらないと実感した。この映画を映画館で見たときには本当に震えが止まらなかった。大興奮の2時間半だった。
 素晴らしいのは、やはり猿人が骨を放り投げて宇宙ステーションが出てくるところからのシークェンス。宇宙の黒と、地球の眩い青の素晴らしい対比は、この世のものとは思えない雄大なる美しさだった。またこのときのカメラワークも素晴らしく、ゆったりとパンしていくところは、見ていて体が軽くなった気分になる。また注目したいのが宇宙ステーションのウィンドウ。テレビでは単なるガラス窓だったのに、映画館で見たら、何と窓の奥に人が見えて、しかもちゃんと動いているではないか。僕は本気でぶったまげた。
 ディスカバリー号の船内の映像も凄い。船内の壁のいたるところで製造番号みたいなものを見つけることができるのだが、テレビではこういう文字はつぶれてしまって、壁に溶け込んで単なるシミになってしまっているのである。だからこそ、映画館でじっくり見たときの感動は大きかった。何としてでもスクリーンで見るべきヴィジュアルな映画である。

■SOUND
 この映画は僕の思い出の作品である。僕が一番好きな映画といってもいい。本当に一番というわけではないが、映画芸術の素晴らしさに感動したという点では最も影響を受けた作品である。
 僕が一番感動したのは何かというと、それはクラシック音楽が効果的に使われていることである。僕は前半の宇宙遊泳のシーンが一番好きなのだが、この映像は本当に今見ても溜息がでてしまう。あまりにも見事すぎるからだ。
 使われている曲は、ご存じヨハン・シュトラウス二世の「美しく青きドナウ」。このワルツを宇宙遊泳に結びつけたセンスたるや、恐るべしキューブリック。キューブリックは未来社会をゆっくりと優雅にユーモラスに描写していく。未来社会の生活の様子を描いた作品はいつの時代もユニークなものばかりだが、「2001年」で描かれている生活感は特別素晴らしい。よく考えると、宇宙遊泳のシーンにはセリフも効果音もない。音楽が流れているだけで、演出はサイレント形式である。サイレント形式で描いたことで、観客に想像力を膨らませることができたのかもしれない。また、安っぽい効果音もセリフも排除したことで、このシーンが、永遠に廃れることのない名場面に成り得たのだと思う。
 ところで、オープニングとラストでは、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」も劇的に使われている。この前奏曲は、「2001年のテーマ曲」という異名がついてしまって、もはやクラシック音楽だったということを知る人は少ない。それほど映像にマッチしていたわけで、観客たちに強烈な印象をたたき込んだのだと思える。音楽だけでもこれほどまでに影響力のある映画は珍しいだろう。

■STORY
 アーサー・C・クラークが書いた原作がある、と広く知られているが、実はそれは間違いである。
 本当は「2001年」の脚本はクラークとキューブリックが共同で執筆したオリジナルなのである。そして映画製作中にクラークは小説の方も同時執筆していた。結局は小説の方が後発になってしまったが、同時進行だったため、どちらが先かと考えることは問題外になっている。
 ところで、映画と小説とでは、ずいぶんと中身は違う。
 映画は極めて難解で、多くの謎を残して終わる。わからないことだらけだ(それなのにこの映画は永遠の人気を誇るのだから凄い)。
 ところが小説の方は何一つわからないことはない。小説は映画の謎解き案内役みたいな感じに扱われてしまったが、実際は小説も映画もそれぞれに違った良さがあり、共に名作である。
 ストーリーについてはあらゆる本で語り尽くされてきたし、僕も今までに何度も書いてきたことなので、ここでは大きく取り上げないことにする。
 ただひとつ言いたいのが、この映画でストーリーを考えるのは観客自身だということ。ストーリー以外にも見所はいくらでもあるのだし、セリフはほぼないに等しいわけだから、内容なんて好き勝手に哲学すればいい。とはいっても、最初は猿人の話だし、ラストではなぜか木星圏からロココ調の部屋にやって来てしまうわけだし、ただものの内容ではないことは誰の目にもわかってもらえるはずだ。
 見れば見るほど味が出るのもこの映画の面白いところで、細かい演出に自分だけが気付いたときの感動といったら非常に大きい。

■PRPDUCTION DESIGN
 「2001年」がSF映画の金字塔であることは誰もが認めることであるが、それはストーリー、映像、音楽、演出など、あらゆる面において革新的であったからだ。それは、もちろん舞台デザインに関しても言える。
 「2001年」では、従来の子供だましの空想は抜きにして、科学的な検証を考慮しての、かつてなかったリアルな宇宙ステーションが登場する(このデザインはキューブリックは当時は手塚治虫先生に依頼していたのだが、手塚先生本人に断られたという話は有名である)。この企画はイギリス映画だからこそ実現できたのかもしれない。この宇宙ステーションのユニークな造形は、歪曲した地面である。ステーション全体を回転して重力を発生させるという画期的なアイデアである。
 まだ1968年は、人類が月面に到達する前の年なのに、開拓精神旺盛なキューブリックは一歩先を行くアイデアで思う存分に楽しませてくれている。だからこそ、磁石靴や、声紋検査装置や、テレビ電話などが出てくる場面が面白い。
 ディスカバリー号が出てくる最初の場面で、船員が船内でランニングしているシーンも最高だ。床はぐるりと一周して円形状になっている。またやたらとこの通路の幅が狭い。前にも後にも様々なSF映画が作られたが、これほど風変わりなセットがあっただろうか? 「2001年」の世界観はずばぬけて独創的だったのだ。
 ついでに白と赤の二色にも着目してもらいたい。この映画では最初の猿人の場面から最後まで、頻繁にこの二色が使われている。その対比を見つけて楽しむのもなかなか乙かもしれない。また、円形と長方形にもこだわりが感じられる。
 この映画が何度見ても飽きないのはこういうところにキューブリックの知的センスが光っているからである。キューブリックはまさしく偉大だったのだ。

■SPECIAL EFFECTS
 本当にいい映画は、時代を超えて愛される。
 「2001年」は変わり種で、公開当時は賛否両論だったが、時代を経るごとに、しだいに評価されていった。今となってはSF映画としてでなく、映画史上の屈指の名作として名高い。
 当時、アカデミー賞の作品賞候補には当然のこと落選。その年の作品賞はキャロル・リードの「オリバー!」に渡った。ところが「オリバー!」は当時はセンセーションだったにしても、現在の評価は低い。無視された「2001年」の方が時代の波に流されなかったというのは、面白い話だ。
 ただし、「2001年」はアカデミー賞で、特殊視覚効果賞だけは受賞していた。視覚効果を担当していたのは、何とキューブリック本人である。
 キューブリックの映画技法というものは常にパイオニア的であった。この映画ではフロントプロジェクションという特殊技術に初めて成功している。背景はあらかじめ用意しておいた映像を映写して、役者はスタジオで演技をしているだけだ。従来ならスクリーンの裏から背景を映写するはずだが、キューブリックはハーフミラーを使って前から映写して、全くそうとは気付かせない映像に仕立て上げている。
 もう一つ、スリットスキャンという装置も利用している。これは同作で圧巻といえる「スペースシャワー」のシーンのあの神秘的な光の映像で使われたものだ。長い映像だったが、とにかく凄かった。
 結局キューブリックが獲得したオスカーといえば、この映画で取った視覚効果賞の一本だけに終わってしまった。むしろこれで良かったのかもしれない。そのせいもあって、キューブリックは今日のように神格化されたのだから。
 こうなると、今はスピルバーグの「A.I.」に期待するばかりだね。
(第47号 「名作一本」掲載)

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