ビリー・ワイルダー (巨匠の歴史)
娯楽映画を追求した駄作知らずの脚本家
Billy Wilder (1906~2002)
オーストリア・ウィーン出身 ●本職は脚本家
ビリー・ワイルダーはデビュー当時から現在まで、ほとんどの作品を製作・監督・脚本3役こなし、ハリウッド一の映画監督と評されてきたが、本職は脚本家だった(しかも共同脚本家だ)。全盛期もなお脚本家という印象は強く、アカデミー賞の脚本賞ノミネート回数の記録はついこの前までずっとやぶられることはなかった。
デビュー前は新聞記者であったが、脚本に興味を持ち、やがてドイツ語の脚本が少しばかり売れる。ナチスが台頭してからは即刻ドイツを脱出、英語のわからないアメリカでチャールズ・ブラケットと共にエルンスト・ルビッチの下について「ニノチカ」(39)などを任され、脚本家として認められるようになる。ワイルダーはエルンスト・ルビッチから演出たるは何かを学び取り、ついに自分も監督となる。監督になった理由は「自分の脚本だから」。ワイルダーは今もルビッチを熱く尊敬していると語っている。
初期の作品「少佐と少女」(42)、「熱砂の秘密」(43)はあまり知られていないが、今見ても面白く、演出は職人的で、後のワイルダーの成功を予感させている。
●役者指導はお茶の子さいさい
ワイルダーのシリアス派作品は、現在はどれも神格化されている感がある。デビュー当時の「深夜の告白」(44)は、そのストーリーテリングと際立った演出力で、監督としても評価が高く、フィルムノワールの最高傑作だと言われている。
キャスティングは昔も今も絶妙だったが、「深夜の告白」からすでにバーバラ・スタンウィックの魅力を存分に引きだしていて、役者の隠れた個性を引き出すことは生まれつきお茶の子さいさいだったようだ。
「失われた週末」も素晴らしい。人物設定も舞台設定もシンプルだが、あそこまで緊迫した映画に仕上げたことは凄い。これでワイルダーはアカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、大根のレイ・ミランドにオスカーをもたらした。
映画に対する愛情は相当なもので、彼の作品には映画的パロディも見られる。「サンセット大通り」(50)や「昼下がりの情事」(57)からは映画の想いが伝わってくる。「サンセット大通り」は内幕ものの最高傑作であり、批評家の評価はすこぶる高く、ハリウッドの一種のシンボル映画になっている。
●I・A・L・ダイアモンドと共に
「皇帝円舞曲」(47)ではコミカルなミュージカルに成功、50年代から60年代にかけては最盛期といってよく、「第十七捕虜収容所」(53)などであいかわらず巧みな話術を見せつつ、脚本家のI・A・L・ダイアモンドと組んでからは、しだいにコメディ映画が増えていく。オードリー・ヘプバーン、マリリン・モンローという全くタイプの異なる永遠のスーパースターを演出しているが、2人はワイルダーがいなければ、大成はしなかったかもしれない。ワイルダーは2人をファッショナブルに成長させた。「お熱いのがお好き」(59)はなんとアメリカ国宝に指定されてしまった大傑作である。その一方で、「情婦」(57)のような大どんでん返しサスペンスを手掛けているのだから、芸幅の広さには頭が下がる。全作品を通して娯楽一徹の駄作なしというのも嬉しい。
●ワイルダーといえばジャック・レモン
ワイルダーはウィリアム・ホールデン、カーク・ダグラス、ゲーリー・クーパー、ジェームズ・スチュアートなど、多くの俳優たちをかっこよく演出したが、彼の演出してきた俳優陣の中で特に際立っているのが三枚目ジャック・レモンである。「アパートの鍵貸します」(60)から、「あなただけ今晩は」(63)、「恋人よ帰れ!わが胸に」(56)と、沢山の作品に主演し、ワイルダー映画の顔となる。レモンはワイルダー映画に出ているときが一番活発に見える。小粋で、活気盛んなワイルダーゆえのレモンである。
87年、ワイルダーはジャック・レモンの手からアービング・G・タールバーグ賞を受け取った。
Billy Wilder (1906~2002)
オーストリア・ウィーン出身 ●本職は脚本家
ビリー・ワイルダーはデビュー当時から現在まで、ほとんどの作品を製作・監督・脚本3役こなし、ハリウッド一の映画監督と評されてきたが、本職は脚本家だった(しかも共同脚本家だ)。全盛期もなお脚本家という印象は強く、アカデミー賞の脚本賞ノミネート回数の記録はついこの前までずっとやぶられることはなかった。
デビュー前は新聞記者であったが、脚本に興味を持ち、やがてドイツ語の脚本が少しばかり売れる。ナチスが台頭してからは即刻ドイツを脱出、英語のわからないアメリカでチャールズ・ブラケットと共にエルンスト・ルビッチの下について「ニノチカ」(39)などを任され、脚本家として認められるようになる。ワイルダーはエルンスト・ルビッチから演出たるは何かを学び取り、ついに自分も監督となる。監督になった理由は「自分の脚本だから」。ワイルダーは今もルビッチを熱く尊敬していると語っている。
初期の作品「少佐と少女」(42)、「熱砂の秘密」(43)はあまり知られていないが、今見ても面白く、演出は職人的で、後のワイルダーの成功を予感させている。
●役者指導はお茶の子さいさい
ワイルダーのシリアス派作品は、現在はどれも神格化されている感がある。デビュー当時の「深夜の告白」(44)は、そのストーリーテリングと際立った演出力で、監督としても評価が高く、フィルムノワールの最高傑作だと言われている。
キャスティングは昔も今も絶妙だったが、「深夜の告白」からすでにバーバラ・スタンウィックの魅力を存分に引きだしていて、役者の隠れた個性を引き出すことは生まれつきお茶の子さいさいだったようだ。
「失われた週末」も素晴らしい。人物設定も舞台設定もシンプルだが、あそこまで緊迫した映画に仕上げたことは凄い。これでワイルダーはアカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、大根のレイ・ミランドにオスカーをもたらした。
映画に対する愛情は相当なもので、彼の作品には映画的パロディも見られる。「サンセット大通り」(50)や「昼下がりの情事」(57)からは映画の想いが伝わってくる。「サンセット大通り」は内幕ものの最高傑作であり、批評家の評価はすこぶる高く、ハリウッドの一種のシンボル映画になっている。
●I・A・L・ダイアモンドと共に
「皇帝円舞曲」(47)ではコミカルなミュージカルに成功、50年代から60年代にかけては最盛期といってよく、「第十七捕虜収容所」(53)などであいかわらず巧みな話術を見せつつ、脚本家のI・A・L・ダイアモンドと組んでからは、しだいにコメディ映画が増えていく。オードリー・ヘプバーン、マリリン・モンローという全くタイプの異なる永遠のスーパースターを演出しているが、2人はワイルダーがいなければ、大成はしなかったかもしれない。ワイルダーは2人をファッショナブルに成長させた。「お熱いのがお好き」(59)はなんとアメリカ国宝に指定されてしまった大傑作である。その一方で、「情婦」(57)のような大どんでん返しサスペンスを手掛けているのだから、芸幅の広さには頭が下がる。全作品を通して娯楽一徹の駄作なしというのも嬉しい。
●ワイルダーといえばジャック・レモン
ワイルダーはウィリアム・ホールデン、カーク・ダグラス、ゲーリー・クーパー、ジェームズ・スチュアートなど、多くの俳優たちをかっこよく演出したが、彼の演出してきた俳優陣の中で特に際立っているのが三枚目ジャック・レモンである。「アパートの鍵貸します」(60)から、「あなただけ今晩は」(63)、「恋人よ帰れ!わが胸に」(56)と、沢山の作品に主演し、ワイルダー映画の顔となる。レモンはワイルダー映画に出ているときが一番活発に見える。小粋で、活気盛んなワイルダーゆえのレモンである。
87年、ワイルダーはジャック・レモンの手からアービング・G・タールバーグ賞を受け取った。