自転車泥棒 (名作一本)

<1948年/イタリア/88分>
製作・監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
★★★★1/2

 食べていくのも大変だったけど、やっとお父さんは仕事にありついた。それなのに、お父さんは仕事していきなり商売道具の自転車を盗まれちゃった。泥棒は追いかけたけど、まんまと逃げられた。自転車がないと仕事が出来ない。お巡りさんにも話したけど、相手にしてくれない。どうしていいのかわからないお父さんは、気が付いたら仕事をほっぽりだして、僕と一緒に自転車を探し歩いてたんだけど、お父さんはぶつくさいいながらただ歩きまわっているだけ。僕も何だかへとへとになってきた。そしたらお父さん、急に魔が差して、自転車泥棒になっちゃった。でも、お父さんはすぐに掴まっちゃった。みんなからぶたれて泣いているお父さん。それを見る僕・・・。

 感動の名作である。戦後の町をオールロケして撮ったイタリア・リアリズムを代表する1本というのは、誰もが知っていることだね。戦争に負けて不景気状態のイタリアの悲惨な日常を見させてくれるわけだけど、リアルというよりは、多少大袈裟かもしれない。社会派シリアス・ドラマの典型とも言われるけど、実はお父さんがけっこうおまぬけで、コミカルな要素も入っていると思える。また、お父さんの性格の変化具合を見ていると、何だかサイコ・サスペンスっぽい印象も! ボケとつっこみじゃないけど、お父さんと子供のやりとりは、ホームドラマチックな味がある。つまり、リアルといわれた「自転車泥棒」は、実の所あくまでドラマチックに描いているわけである。ではなぜこの映画がリアリズムの傑作として高く評価されているのかというと、観客が直感的な感動だけを記憶してしまったからではないだろうか。自転車を盗んだときのあの何とも言えない涙目は、何度見てもじーんとさせられる。が、この映画に感動した人が、この映画のストーリーを覚えているかとなると、実はみんな粗筋しか覚えていなくて、主人公のおかしな行動を覚えているものはいない。僕の二人の姉は、両者とも、この映画を見たとき、イライラしたといっていたが、お姉ちゃんがそう思ったのは、きっと悩むばかりでちっとも進歩しないお父さんの印象の方が強く残ったからだろう。

 なんだかんだ言ったけど、僕はこの映画は大好きである。イタリア映画ではベスト5に入る一本だと思う。なぜなら、この映画で語るべきは、カメラだからである。一人称的カメラワークの印象がいいから、みんな感動したのである。お父さんの視点から見る町並みの映像センスは、サタジット・レイらにも影響を与えているはずである。この映画のいうリアリズムというのは、このカメラワークのことなのかもしれない。
(第40号 「名作一本」掲載)

オリジナルページを表示する