100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


ハワード・ホークス (巨匠の歴史)

男性映画と女性映画の両方を得意とした米監督

Howard Hawks
(1896~1977)
インディアナ州出身    後にヌーベルバーグ派の作家たちによって神格化されることになるハワード・ホークスは、大の飛行機好きで、ヴィクター・フレミングと一緒に飛行機を作ったり、パイロットとして空を飛び回ったりしていた。一方で、映画監督を志し、脚本を書き続けていたが、脚本家としてはいち早く成功しており、「暗黒街」(27)などの傑作も残した。映画監督デビューは1925年。それからは演出業を中心に、独特な作風の傑作を生みだしていく。
 米国が誇る文豪ウィリアム・フォークナー、アーネスト・ヘミングウェイとの友情も有名で、一緒に脚本を書いたこともある。

●「暗黒街の顔役」 映画史に残る大古典
 ホークスといえば、アル・カポネをモデルにして作った犯罪映画「暗黒街の顔役」(プロデューサーはあの大富豪ハワード・ヒューズ)である。これは公開当時、かつてない臨場感を持つアクション映画として、センセーショナルにアクション映画の幕開けを告げたが、その衝撃は今も変わらない。編集といい、センスといい、この丹念な作りは、アメリカ映画史上の最高傑作と呼ぶに相応しく、フランソワ・トリュフォー、ピーター・ボグダノビッチ、マーチン・スコセッシといった後年の映画作家たちの映画熱を大いに奮い立たせた。ホークスに熱狂的な支持者が多いのは、この作品が大きな所以となっている。

●あらゆるジャンルに長けた才能
 ホークスほど色々なタイプの娯楽映画を発表した監督はいない。アクションもの、西部劇、ミュージカル、コメディ、ヒューマンドラマ、恋愛もの、冒険活劇、戦争もの、歴史劇、ハードボイルド映画、航空もの、SF、社会派、その他、撮ってないジャンルはないといってもいいかもしれない。
 それぞれのジャンルで、映画史に残る決定版といえる作品を作っているところにも感服させられる。 例えば、西部劇「赤い河」はジョン・フォード作品を凌ぐ傑作であるし、「暗黒街の顔役」は無論アクション映画の最高峰である。
 奇抜な演出はいっさいしないが、それなのに作風は独特で、彼の作品はどこか躍動感に溢れているのだ。

●役者の新しい個性を発掘
 ハワード・ホークスの更なる素晴らしい才能は、洞察力である。俳優の沈んでいた才能を引き出し、色々なスターにとんでもない役を与えた。だから当時は、ヒットメーカーとしては最高の実力者だったかもしれない。
 ホークスは「リオ・ブラボー」など、特に男気みなぎるダイナミックな作品に定評があったが、女性を描くことにかけてもズバ抜けた才能を発揮した。「脱出」でローレン・バコールを映画界へと連れてきたのもホークス自身の決断だ(バコールのトレードマークである低い声はホークスが作らせた)。「紳士は金髪がお好き」ではマリリン・モンローに初めて歌と踊りをやらせ、「赤ちゃん教育」ではキャサリン・ヘプバーンをお茶目なお姉ちゃんに変身させた。この他にもキャロル・ロンバート、リタ・ヘイワースら、豪華スターを相手に数多くの秀作を発表している。まったく恐れ入る職人監督である。

●芸術を支持する知識人からは無視される
 ハワード・ホークスの映画は豪快なるエンターテインメントである。だから、解釈によっては芸術性というものは無いといってよい。だから、アカデミー賞では「ヨーク軍曹」でゲーリー・クーパーの隠れたユーモアを引き出し、オスカー候補に選ばれてはいるものの、それはそのとき一度きりで、全く映画賞からは無視され続けた。ホークスの映画は、スタジオ・システムのもとに作られた商業映画そのものだったので、芸術を支持する知識人からは無視されてしまったのである。しかし、商業主義でありながらも、丹念に自分を表現したユニークな仕事ぶりは確かであり、誰もが尊敬すべきところである。この実力こそ、ホークスの名を確固たるものにしているのだから。
 ホークスは1977年12月26日81歳でこの世を去った。偉大なる映画人チャールズ・チャップリン氏が逝った翌日の話であった。

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