ノーマン・マクラレン (巨匠の歴史)
カメラレス、マイクレス、ストーリーレス
フィルムに直接映像を描いた究極のフォルマリスト
1914年、スコットランドのスターリング生まれ。グラスゴーの美術学校でインテリア・デザインを学ぶ。33年自主製作したドキュメンタリー映画がジョン・グリアスンの目にとまり、イギリス郵政局の映画部に招かれる。
その後、ロンドン、アメリカと拠点を移動してきたが、グリアスンがカナダの国立映画局(NFB)の局長に就任するや、彼の推薦により、マクラレンは動画部の責任者となる。自由な制作環境の中、カメラレス映画、文字だけの映画、立体映画、多重露光映画など、数々の実験映画を手がけた。NFBの後進の指導にも尽力。87年没。
撮影という概念を打破
ノーマン・マクラレンの作品で、最も有名なのは「線と色の即興詩」(55年)※1である。この作品では一切カメラを使用していない。真っ黒のネガフィルムを直接引っ掻いて着色し、その傷の動きを楽しむシネカリ作品である。全シーンがサブリミナル的な映像で構成されており、ストーリーはない。しかし、その映像の奇抜さは、「映画はカメラで撮影する」ものだという一つの概念を完全に打破していた。
マクラレンの映画創作活動は1933年に始まる。エイゼンシュテインに感化されていたマクラレンは、とにかく何か自分の作品を作ってみたいと思っていた。映画を撮る金もないマクラレンがその時手にしていたのは、何も映っていない1本のフィルムであった。マクラレンは、直接フィルムにペンで絵を描き、1本のアブストラクト映画(抽象映画)を完成させた。これがマクラレンの映画の原点となったのだ。
学生時代は、サイレント形式のドキュメンタリー映画を作り、高く評価された。中でも戦争の悲惨な映像に奇抜なオブジェをコラージュした「地獄」(36年)は、静的な映像を動的につなぐモンタージュ技法が駆使されており興味深い。
その後、フリーを経て、幸運にもNFB(カナダ国立映画局)の動画部責任者として入社したマクラレン。ここでは非商業映画を時間とお金をかけて自由に作らせてもらえたので、マクラレンは次々と意欲的な実験映画を発表していくのだった。NFBで彼が手がけたその作品数は優に40本を超える。
手描きのサウンドトラック
マクラレンが編み出した技法で、ダイレクト・ペイントの次に知られているのが、手描きのサウンドトラックである。映画における音声の仕組みは、フィルムの横にある透明の線(サウンドトラック)に光をあて、その光の微妙な変化で発声するというものであるが、マクラレンはその逆手をとり、直接フィルムに線を描くことで音を作ったのである。マクラレンが作り出した音は、打楽器にも弦楽器にも管楽器にも似ている音だが、そのどれでもない奇妙な音である。
マクラレンのアブストラクトの中でも究極的なフォルムである「シンクロミー」(71年)は、彼の描いたサウンドトラックをそのまま映像にしたもので、映像と音声の完全同期をそこに実現している。線の長さや太さや間隔が音にどのように影響するのかがよくわかる作品である。
世の中には数多くのアバンギャルド作家がいるが、そのほとんどの作家がカメラの前の被写体をどう描くか、いかにして表現するか、そこばかりに苦悶していたのだが、マクラレンは映画の機械的常識を解体するという誰も気づかなかった盲点をついたのである。ここまで発想を飛躍させた人物はマクラレンが最初だろう。
映画における「フォルム」の意味
オプチカル技術の集成「色彩幻想」(49年)※2では、1コマのフレームの概念が無視され、1本のフィルムを大きなキャンバスとしてペイントし、ハイテンポのジャズ音楽と色彩の融合を試みている。問題なのは、何が描かれているかではなく、コマとコマの間で何が起きているかである。35ミリの小さなフィルムに、大きな筆を使って思い切り塗色することで、被写体の巨大さ、圧倒的な力強さを描出しており、めまぐるしく変化していくその色彩感覚には度肝を抜かれるばかりである。
「垂直線・水平線」(60年/62年)はまったく同じ太さの直線だけで描いた作品。そこにはコンテンツは何もない。しかし、直線の動きだけで、うっとりするような美しい映像を創り上げている。フォルムだけでも人をここまで感動させられるものだろうか。マクラレンの作品は、映像表現におけるフォルムの重要さを再確認させてくれる。
マクラレンの仕事の中でも、とりわけニューヨークの電光掲示板の映像作品を忘れてはならない。劇場のスクリーンとは異なり、電光掲示板では、色は一色、音も無く、解像度も低いのだが、マクラレンの作品は次から次へと文字や動物の映像がメタモルフォーゼしていき、その動きの滑らかさ・質感・重量感・イメージの斬新さは、NYの歩行者達を8分間も立ち止まらせた。
「隣人」(52年)※3は、人間をオブジェとして捉え、俳優の演技を1/24秒ずつ個別に撮影することで、映像上の新しいピクシレーションを開発した作品である。人間が寝そべったまま移動したり、高速で画面の端から端へと走ったり、普通ではできない人間の独特の動きを表現することに成功している。
「パ・ド・ドゥー」(67年)※4はマクラレン後期の代表作。バレエを撮影したフィルムを、複数プリントし、時間をずらして合成し、あたかも動きのエコーを表現するかのような映像である。マクラレンは映像に不可欠なものはモーションといい、モーションを構成するものはテンポで、テンポとは等速・加速・減速・静止のいずれかの物理的な運動で描かれているものだと説明しているが、同作では、マクラレンがこだわりつづけた運動の原理が、まさにモーションの軌道となって映像に焼き付けられており、純粋に映像の力だけで観賞者を感動させた。
マクラレンの作品がどれも素晴らしいのは、実験的な精神で描かれていながらも、それがひとえに幻想的かつ美しい映像になっていること。映画とはなんと奥深いものだろうか。そんなことをまざまざと考えさせるほど、マクラレンの影響力は計り知れない。
フィルムに直接映像を描いた究極のフォルマリスト
1914年、スコットランドのスターリング生まれ。グラスゴーの美術学校でインテリア・デザインを学ぶ。33年自主製作したドキュメンタリー映画がジョン・グリアスンの目にとまり、イギリス郵政局の映画部に招かれる。
その後、ロンドン、アメリカと拠点を移動してきたが、グリアスンがカナダの国立映画局(NFB)の局長に就任するや、彼の推薦により、マクラレンは動画部の責任者となる。自由な制作環境の中、カメラレス映画、文字だけの映画、立体映画、多重露光映画など、数々の実験映画を手がけた。NFBの後進の指導にも尽力。87年没。
撮影という概念を打破
ノーマン・マクラレンの作品で、最も有名なのは「線と色の即興詩」(55年)※1である。この作品では一切カメラを使用していない。真っ黒のネガフィルムを直接引っ掻いて着色し、その傷の動きを楽しむシネカリ作品である。全シーンがサブリミナル的な映像で構成されており、ストーリーはない。しかし、その映像の奇抜さは、「映画はカメラで撮影する」ものだという一つの概念を完全に打破していた。
マクラレンの映画創作活動は1933年に始まる。エイゼンシュテインに感化されていたマクラレンは、とにかく何か自分の作品を作ってみたいと思っていた。映画を撮る金もないマクラレンがその時手にしていたのは、何も映っていない1本のフィルムであった。マクラレンは、直接フィルムにペンで絵を描き、1本のアブストラクト映画(抽象映画)を完成させた。これがマクラレンの映画の原点となったのだ。
学生時代は、サイレント形式のドキュメンタリー映画を作り、高く評価された。中でも戦争の悲惨な映像に奇抜なオブジェをコラージュした「地獄」(36年)は、静的な映像を動的につなぐモンタージュ技法が駆使されており興味深い。
その後、フリーを経て、幸運にもNFB(カナダ国立映画局)の動画部責任者として入社したマクラレン。ここでは非商業映画を時間とお金をかけて自由に作らせてもらえたので、マクラレンは次々と意欲的な実験映画を発表していくのだった。NFBで彼が手がけたその作品数は優に40本を超える。
手描きのサウンドトラック
マクラレンが編み出した技法で、ダイレクト・ペイントの次に知られているのが、手描きのサウンドトラックである。映画における音声の仕組みは、フィルムの横にある透明の線(サウンドトラック)に光をあて、その光の微妙な変化で発声するというものであるが、マクラレンはその逆手をとり、直接フィルムに線を描くことで音を作ったのである。マクラレンが作り出した音は、打楽器にも弦楽器にも管楽器にも似ている音だが、そのどれでもない奇妙な音である。
マクラレンのアブストラクトの中でも究極的なフォルムである「シンクロミー」(71年)は、彼の描いたサウンドトラックをそのまま映像にしたもので、映像と音声の完全同期をそこに実現している。線の長さや太さや間隔が音にどのように影響するのかがよくわかる作品である。
世の中には数多くのアバンギャルド作家がいるが、そのほとんどの作家がカメラの前の被写体をどう描くか、いかにして表現するか、そこばかりに苦悶していたのだが、マクラレンは映画の機械的常識を解体するという誰も気づかなかった盲点をついたのである。ここまで発想を飛躍させた人物はマクラレンが最初だろう。
映画における「フォルム」の意味
オプチカル技術の集成「色彩幻想」(49年)※2では、1コマのフレームの概念が無視され、1本のフィルムを大きなキャンバスとしてペイントし、ハイテンポのジャズ音楽と色彩の融合を試みている。問題なのは、何が描かれているかではなく、コマとコマの間で何が起きているかである。35ミリの小さなフィルムに、大きな筆を使って思い切り塗色することで、被写体の巨大さ、圧倒的な力強さを描出しており、めまぐるしく変化していくその色彩感覚には度肝を抜かれるばかりである。
「垂直線・水平線」(60年/62年)はまったく同じ太さの直線だけで描いた作品。そこにはコンテンツは何もない。しかし、直線の動きだけで、うっとりするような美しい映像を創り上げている。フォルムだけでも人をここまで感動させられるものだろうか。マクラレンの作品は、映像表現におけるフォルムの重要さを再確認させてくれる。
マクラレンの仕事の中でも、とりわけニューヨークの電光掲示板の映像作品を忘れてはならない。劇場のスクリーンとは異なり、電光掲示板では、色は一色、音も無く、解像度も低いのだが、マクラレンの作品は次から次へと文字や動物の映像がメタモルフォーゼしていき、その動きの滑らかさ・質感・重量感・イメージの斬新さは、NYの歩行者達を8分間も立ち止まらせた。
「隣人」(52年)※3は、人間をオブジェとして捉え、俳優の演技を1/24秒ずつ個別に撮影することで、映像上の新しいピクシレーションを開発した作品である。人間が寝そべったまま移動したり、高速で画面の端から端へと走ったり、普通ではできない人間の独特の動きを表現することに成功している。
「パ・ド・ドゥー」(67年)※4はマクラレン後期の代表作。バレエを撮影したフィルムを、複数プリントし、時間をずらして合成し、あたかも動きのエコーを表現するかのような映像である。マクラレンは映像に不可欠なものはモーションといい、モーションを構成するものはテンポで、テンポとは等速・加速・減速・静止のいずれかの物理的な運動で描かれているものだと説明しているが、同作では、マクラレンがこだわりつづけた運動の原理が、まさにモーションの軌道となって映像に焼き付けられており、純粋に映像の力だけで観賞者を感動させた。
マクラレンの作品がどれも素晴らしいのは、実験的な精神で描かれていながらも、それがひとえに幻想的かつ美しい映像になっていること。映画とはなんと奥深いものだろうか。そんなことをまざまざと考えさせるほど、マクラレンの影響力は計り知れない。