黄金狂時代 (名作一本)
The Gold Rush
★★★★1/2
<アメリカ/1925年/コメディ>
製作・監督・脚本・出演:チャールズ・チャップリン
撮影:ローランド・トザロー
出演:ジョージア・ヘイル、マック・スウェイン、
トム・マレー、ヘンリー・バーグマン
●ストーリー
浮浪者のチャーリーは、金鉱を求めて、アラスカの雪山を一人とぼとぼと登っていく。結局、あまりの寒さで、黄金を見つけぬままチャーリーは遭難してしまうが、何とか自分の靴を食べて飢えを凌ぐのだった。山を下りたチャーリーは、都会的な美女ジョージアに恋心を抱くが・・・。
●チャップリンは喜劇の王様
チャップリンは喜劇の王様である。彼のコメディ・センスは計り知れず、他に類を見ない特別なものである。映画作りにかけては、最悪といっていいほどの完璧主義者であったがゆえに、彼の拘りは顕著に見られ、全ての笑いの場面には彼の魔力が宿っている。
じゃあ何が凄いのかというと、パントマイムの楽しさであり、ストーリーの動機付けであり、ユーモアの中の哀愁である。その個性がもっとも発揮された映画が「黄金狂時代」である。
●名場面でいっぱい
この映画には、チャップリンにしかできない、チャップリンだからこそできた名場面でいっぱいだ。どのコミック・シーンも、短編映画にして上映してもいいくらい、芸術的といっていい魅力がある。靴を食べるシーンでは、靴ひもをスパゲッティのように食べ、釘を魚の骨をしゃぶるように食べた。自分の靴を食べるなど、よく考えればすごく悲惨な話だが、それを笑いにしてしまった才能には感服だ。チャップリンの顔の表情、指の動きは一コマ一コマが奇跡である。
コメディにも進行具合というのがあって、チャップリンはその術を心得ていた数少ない映画監督である。だからテンポよく笑いの場面を次々と展開させることを得意とした。例えばバーでのダンス・シーン。チャーリーのズボンが下がっていく→チャーリーは落ちていた紐をベルト代わりにする→ところがその紐は犬の首輪の紐だった→猫が出てきて犬が暴れてチャーリーはすってんころりん→チャーリーは側の男が持っていた果物ナイフで紐をちょんぎって、一件落着。実に旨い組立式である。ここら辺の演出は、アメリカのカートゥーンに多大の影響を与えている。
●最初から最後まで笑える映画
チャップリンの映画は最初から最後まで笑いが止まらない。崖っぷちでの一大サスペンスなどは、手に汗握りつつもゲラゲラ笑ってしまう複雑な面白さ。また、彼の映画には笑いだけでなく、ペーソスも入っているところが嬉しい。イブの夜、約束していた愛しの娘に裏切られたときのチャップリンの描写のあの何たる悲しさ・・・。この映画は、笑うか、じーんとくるか、このどちらかで、余計なシーンなどは全くない。恐るべしチャップリンである。
●追伸:リバイバル版よりもオリジナル版を
チャップリンの映画はどれも何か哀感のあるラストであるが、この作品だけキスシーンでフェードアウトするという、気持ちいいくらい豪華なハッピーエンドである。
ところが、後々にチャップリン自身が弁士となってナレーションを付けてリバイバル公開したバージョンでは、このラストがカットされてしまった。現在出回っているバージョンは主に後者の方である。
しかし、僕としては前者の方を見てもらいたい。前者がビジョンに訴えかける芸術映画だからである。後者はナレーションが入ってしまったので、イマジネーションが刺激されず、この映画の本当の面白さがわからなくなってしまっている。
(第10号 「名作一本」掲載)
★★★★1/2
<アメリカ/1925年/コメディ>
製作・監督・脚本・出演:チャールズ・チャップリン
撮影:ローランド・トザロー
出演:ジョージア・ヘイル、マック・スウェイン、
トム・マレー、ヘンリー・バーグマン
●ストーリー
浮浪者のチャーリーは、金鉱を求めて、アラスカの雪山を一人とぼとぼと登っていく。結局、あまりの寒さで、黄金を見つけぬままチャーリーは遭難してしまうが、何とか自分の靴を食べて飢えを凌ぐのだった。山を下りたチャーリーは、都会的な美女ジョージアに恋心を抱くが・・・。
●チャップリンは喜劇の王様
チャップリンは喜劇の王様である。彼のコメディ・センスは計り知れず、他に類を見ない特別なものである。映画作りにかけては、最悪といっていいほどの完璧主義者であったがゆえに、彼の拘りは顕著に見られ、全ての笑いの場面には彼の魔力が宿っている。
じゃあ何が凄いのかというと、パントマイムの楽しさであり、ストーリーの動機付けであり、ユーモアの中の哀愁である。その個性がもっとも発揮された映画が「黄金狂時代」である。
●名場面でいっぱい
この映画には、チャップリンにしかできない、チャップリンだからこそできた名場面でいっぱいだ。どのコミック・シーンも、短編映画にして上映してもいいくらい、芸術的といっていい魅力がある。靴を食べるシーンでは、靴ひもをスパゲッティのように食べ、釘を魚の骨をしゃぶるように食べた。自分の靴を食べるなど、よく考えればすごく悲惨な話だが、それを笑いにしてしまった才能には感服だ。チャップリンの顔の表情、指の動きは一コマ一コマが奇跡である。
コメディにも進行具合というのがあって、チャップリンはその術を心得ていた数少ない映画監督である。だからテンポよく笑いの場面を次々と展開させることを得意とした。例えばバーでのダンス・シーン。チャーリーのズボンが下がっていく→チャーリーは落ちていた紐をベルト代わりにする→ところがその紐は犬の首輪の紐だった→猫が出てきて犬が暴れてチャーリーはすってんころりん→チャーリーは側の男が持っていた果物ナイフで紐をちょんぎって、一件落着。実に旨い組立式である。ここら辺の演出は、アメリカのカートゥーンに多大の影響を与えている。
●最初から最後まで笑える映画
チャップリンの映画は最初から最後まで笑いが止まらない。崖っぷちでの一大サスペンスなどは、手に汗握りつつもゲラゲラ笑ってしまう複雑な面白さ。また、彼の映画には笑いだけでなく、ペーソスも入っているところが嬉しい。イブの夜、約束していた愛しの娘に裏切られたときのチャップリンの描写のあの何たる悲しさ・・・。この映画は、笑うか、じーんとくるか、このどちらかで、余計なシーンなどは全くない。恐るべしチャップリンである。
●追伸:リバイバル版よりもオリジナル版を
チャップリンの映画はどれも何か哀感のあるラストであるが、この作品だけキスシーンでフェードアウトするという、気持ちいいくらい豪華なハッピーエンドである。
ところが、後々にチャップリン自身が弁士となってナレーションを付けてリバイバル公開したバージョンでは、このラストがカットされてしまった。現在出回っているバージョンは主に後者の方である。
しかし、僕としては前者の方を見てもらいたい。前者がビジョンに訴えかける芸術映画だからである。後者はナレーションが入ってしまったので、イマジネーションが刺激されず、この映画の本当の面白さがわからなくなってしまっている。
(第10号 「名作一本」掲載)