100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


手塚治虫 (巨匠の歴史)

日本マンガのスタイルを確立しマンガ映画のおいても大きな足跡を残した偉大なる野心家
風変わりなアバンギャルド作家
 ご存じ、手塚治虫先生(以下敬称略して手塚)はマンガの神様と言われている人だが、加えてアートフィルムの監督としても知られ、映画祭での受賞経験もある偉人である。主にイラストレーション的な作品やアニメーションの短編映画を製作していたが、作風はいたって実験的であり、今までの一般映画のスタイルを茶化すようなものばかりだ。それでいてストーリーはストレートで、メッセージはするどく、余情味がある。
 代表作「ある街角の物語」は街角のポスターに生命を吹き込んだ物語。「ジャンピング」はビルをも飛び越えるジャンプ力を身につけてしまった少女の主観映像だけで構成されたワンカット・ムービー。映像が鑑賞者を圧倒する手塚映画の作品群は、ウォーホルやダリのフィルム作品とあわせて、映像というものの本質を見つめ直させる。
 もともと手塚は映画を作ることが昔からの夢だったそうで、「映画を作るために漫画を書くんだ」といったのは有名な話である。手塚は漫画で手にした財産を自作の映画のために好き放題浪費していった。
マンガの醍醐味はカッティングである
 手塚治虫が人々から尊敬される理由は、「マンガ」というひとつの近代芸術を確立したからである。これは近代音楽のストラビンスキー、近代建築のル・コルビュジエと並称するくらい大きな功績だと考えてもらいたい。
 手塚マンガがそれまでのマンガとどう違うか、一言でいえば構図である。それまで平面的・舞台鑑賞的だったマンガに、世界で初めて立体的・写真的な構図を取り入れた。心の中にはディズニー、チャップリンという映画界からの大先生がいたが、学んだことはすべてマンガのスタイルへと発展させた。マンガならではのオーバーアクションを活かし、斜めの構図、奥行きのある構図、なめる構図など、さまざまな構図に挑戦した。今となっては一般的な日本マンガの手法のほとんどが手塚治虫のペン先から編み出された。その手法のごく一部を種明かしした著書「マンガの描き方」の内容は、映画製作にも通じるものがあり、とても読み応えがある。
 マンガと映画は似ている。両者とも映像のカッティング(編集)が醍醐味だからである。その点では文学や演劇よりもマンガの方が映画に近い。マンガが映画よりも勝っているポイントを挙げれば、映画のフレームの大きさが常に一定であるのに対し、マンガは一コマ一コマでフレームの大きさが異なることである。いち早くそこに目を付けた手塚は、映画では絶対にできないマンガだけが成せるダイナミック・カッティングを身につけた。マンガの教本とされる『火の鳥』『シュマリ』『奇子』などはカッティングの良い例で、その斬新な構成力は、今見ても奥深く、驚きの連続である。
自分の作りたいものを自分の好きなように作る
 手塚マンガの作品数はたいへんな数字にのぼる。一度に3作以上並行させて描くことはザラで、しかも自作が単行本化される際は単行本向けに読みやすいようにいちいち手直しまでしていた。重ねて映画まで撮っていたわけだから尋常とは思えない。
 手塚がこんなにも沢山の仕事ができたのは、PTAにどんなに蹴られようが、作りたいものを自分の好きなように作っていたからではないだろうか。同じ系統の作品は二度作ることもなく、毎回多彩なジャンルの作品を篤い野心を持って描き続けた。日々スタイルを一新し、ときには思い切った冒険もする。ちょうど過渡期に作ったホラー『バンパイヤ』からは、思いのままに作られている様が伝わってくる。重厚な構成力、手塚治虫本人が大活躍する奔放なおかしさなど見どころ満載で、未完ながら(手塚作品は未完が多い)、手塚マンガの入門書としておすすめしたい。
 いずれの作品にせよ、意思を貫いていることが手塚の流儀である。そのフラストレーションが数ある実験映画の製作にも結ばれているのだから。
プロフィール
1928年11月3日大阪生まれ。漫画好きの親の影響で毎日漫画を読みあさり、学生時代から絵を描く才能が開花する。17歳のときに描いた4コマ漫画『マアチャンの日記帳』で漫画家デビュー。60年には初の漫画映画「西遊記」の構成を担当し、以後漫画と映画の両方で活躍する。62年映画会社<虫プロダクション>を設立。63年には日本初のアニメ番組「鉄腕アトム」を低予算で実現させ、65年にはテレビ初のカラーアニメ「ジャングル大帝」を放送。生と死をテーマに次々と秀作を放つ。「ふしぎなメルモ」では性教育アニメにも成功した。78年の「バンダーブック」からは、24時間テレビ<愛は地球を救う>のために2時間の長編アニメを毎年製作監督。胃ガンに冒され89年他界。
スターシステム
キャラクターを役者化することは手塚マンガのひとつの特徴である。手塚治虫は一人のキャラクターを違う作品にも登場させることを考え、それをスターシステムと呼んだ。正義の味方を演じていた主人公が、今度は悪役として登場したりする。何度も出るから愛着がある。「ブラック・ジャック」で、毎回いろいろな豪華キャストがゲスト出演するのが、読者の楽しみにもなった。手塚治虫はスターたちのギャラまで考えていたそうで、彼にとって自作キャラは家族のように可愛かったに違いない。

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