D・W・グリフィス (巨匠の歴史)

映画を映画にした映画の父
David Wark Griffith
(1875~1948)
  ●”映画”といえばこの人
 ロサンゼルス市民は、日本人と違って、すごく映画史に詳しい。古い映画人の名前もいっぱい知っている。彼らに、「映画史に偉大な足跡を残した監督は誰か」と質問したら、たぶんみんなこの人を答えるだろう。D・W・グリフィスだ。この人こそ、映画を”映画”にした、最初の本格的な映画監督である。かつてなかった演出法を次々と確立していき、映画芸術の基礎を作った彼は、世間から”映画の父”として、死後50年以上たった今なお信奉者は多い。

●トリュフォーが神のように崇めた
 シーンを、”エスタブリッシング・ショット”、”ミディアム・ショット”、”クロース・アップ”に分類し、映像に意味を持たせてストーリーを描く彼の手法は、後の映画のお約束事として、映画の教科書の第1ページを飾ることになったが、映画青年フランソワ・トリュフォーは、そんなグリフィスの演出力に惚れ込み、彼を映画の発明者として崇拝した。そしてトリュフォーはこうもいった。「今の映画人は全てグリフィスの影響下にある」

●あまりにも偉大すぎる
 グリフィスはいった。「私が映画のすべてを作った。私がみんなを見開かせた」。
 「国民の創生」など、ドラマ性の強い長尺映画を発表して、それまでチープな見せ物でしかなかった映画を最大の娯楽に高め、「イントレランス」(左写真)では途方もないスケールの作品に仕上げて、映画を第七の芸術として認めさせた。
 「イントレランス」のセットの豪華さは壮観で、未だこれ以上感動的なセットを使った映画は出現していない。「イントレランス」は、現在も批評家たちの聖典的な存在になっており、”映画を映画らしくした映画”という観点から見て、この2本は”最高の映画”として愛されている。彼の作品はアメリカ国宝にも指定されており、実に貴重なのである。

●ユナイテッド・アーチスツ社設立
 映画スタジオは、どこも産業会社である。金儲けのために映画を作っているという事実は否定できなかったのだ。しかし、グリフィスは、映画生命を永久のものとするため、映画人が好き勝手に映画を作れる環境を築こうと決心。チャールズ・チャップリンら偉大な映画人と共同で、映画芸術集団スタジオ、ユナイテッド・アーチスツ社(通称ユナイト)を設立した。ユナイトは、他のスタジオにはない独特のクオリティを持った作品を次々と発表し、現在までに、数多くの作品でアカデミー賞を受賞した。ユナイトは、紛れもない世界一の映画スタジオとなったのだ。

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