SAYURI (映画史博物館)

さて、2005年の第1位に「SAYURI」というのはかなり驚かれるかもしれない。たしかに、この映画は日本では必ずしも当たったとは言えないし、むしろ世間では格好の批判材料になっている。しかし、僕はこの映画をあえて高く評価したい。僕自身は、この映画を見ていて何度も嬉しくなった。僕にとって好きな映画とは、見ていて自分が嬉しくなってくる映画に等しい。去年の殿堂でいえば「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」が見ていて嬉しくなる1本だった。あの世界観の作り込み具合、スペクタクル・シーンの躍動など、それは見ていてワクワクさせられたし、そのワクワク感が僕の映画鑑賞の幸福そのものだった。 内容は違えど、「SAYURI」についても、僕は「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」と同じようなワクワクを感じた。派手な戦争シーンなどは全くないけれども、映画の中で描かれている日本の建造物や、日本文化それ自体が、僕には大きな躍動となって胸を打たれた。それは誤った日本かもしれないが、僕はそれでもいい。僕自身はその世界がとても魅力的に見えたし、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」の中つ国のように、「SAYURI」の中の花街もまた、思わず行ってみたいと思わせる夢のような世界だった。例えば、あの桜の映像も、いかにも作られた世界っぽく見えるけれども、しかしあの映像も本物の日本よりも美しいと言わせるほど説得力があった。プロの人に言わせれば偽物だというその着物の着付けや小道具も、絵的に美しければそれもありだと思うのだ。中国女優による芸者達の着物姿は本当に綺麗だったし、チャン・ツィイーが踊るシーンには感動で泣きそうになったくらいだ。作り手が外国人というところが何よりも嬉しい。日本人が作ってもつまらない。外国人が日本をこれほど美しく描き、外国人が日本人をこれほど綺麗に演じてくれたことに感謝したくなるのだ。 この映画の何が一番良かったかと聞かれたら、僕は「登場人物」と答えるだろう。この映画には7人の主要登場人物が登場する。多すぎず少なすぎず。この7人の相関関係と、絡み具合が絶妙である。演じる7人の俳優たちもみんな個性的で素晴らしすぎる。これは役者主義の映画だ。桃井かおりは日本では大女優であるが、ハリウッドではほぼ無名なので、この役は大健闘である。そのけだるい声にも磨きがかかり、実に雰囲気たっぷりである。ハリウッド進出3作目である渡辺謙は本当にいい男を演じている。若きさゆり(大後寿々花)にかき氷を買い与えるシーンは本作最大の見せ場だ。彼のハンカチを大切にするさゆりの一途な姿も見ていて嬉しくなる。さゆりの姐となるミシェル・ヨーの存在も嬉しい。彼女がさゆりに芸者の作法について教えるシーンの修行内容の物々しさも面白い。役所広司は日本で最もパワーのある俳優の一人。ハリウッドもやっと役所広司を認めてくれたか。彼が苦手な英語を頑張ってペラペラしゃべっているところを見ても嬉しくなる。そもそもこの映画は日中のキャストがアメリカの指揮のもと同じステージで共演している時点でも胸のバクバク感が違う。 最も面白いのはさゆりと初桃の関係。二人の憎しみに満ちた女同士の戦いが見ものだ。演じるチャン・ツィイーとコン・リーはお互いチャン・イーモウの映画で出世した立場としては、いわば現実でもライバル関係のようなもの。コン・リーは最近はチャン・ツィイーに立場を奪われて、すっかり老けたイメージがあったが、今回は驚くほど綺麗なお姉さんになって復活、銀幕上を大暴れしてくれたので、元ファンだった僕は俄然嬉しくなった。僕はコン・リーの「紅夢」が大好きだが、「紅夢」は女性の諍いを中国の様式美の中に静かに描いた作品で、地味ながらもワクワクさせられたものだが、「SAYURI」のスタイルも「紅夢」とかなり通じるところがあると思う。 僕はこの映画を見て、つくづく「映画っていいな」と思った。昔僕は「映画は総合芸術だ」と説いたことがあるが、今この映画をみて、それを再認識させられた。この建造物、衣装の美しさ、東洋楽器を駆使したジョン・ウィリアムズの壮大なるスコア、そして芸者達の華麗な舞は、まさに総合芸術。映画の醍醐味のすべてが詰まっていると思う。この記事を書いている現時点では評価はまだまだ低いけれど、これはもっと高く評価してしかるべき映画だと思う。幸い興行的には全米でも当たっているし、今後、これが再評価される日を僕は待つ。映画って、本当にいいよね。

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