スティーブン・スピルバーグ (巨匠の歴史)

うーんやっぱり娯楽映画の神様だね

Steven Spielberg (1947~)

  ●映画界を席巻し、批評家を敵にまわした
 海洋恐怖映画「ジョーズ」が映画興行の概念を塗り替えてからというもの、スピルバーグの映画は次々と興行成績を更新。製作総指揮者としてもブロックバスターの斬新な企画を提供してやまない彼は、みるみる映画界を席巻していった。
 「スピルバーグなら面白くて当然」・・・大衆はこういった先入観を抱くようになり、今となってはスピルバーグの「面白い」という宣伝文句は神の声にもまさる。まさにスピルバーグという人間が「映画」そのものになりつつある。
 はたして映画批評家たちはそんなスピルバーグを素直に尊敬できたか? スピルバーグの映画は本当によくできているし、沢山の映画の醍醐味が詰まった傑作ばかりで、怖くなるほどケチのつけどころがない。だが、チヤホヤされている者は、いつの時代も大勢敵をつくるもので、やはりスピルバーグは嫉妬心の強い批評家たちから毛嫌いされた。硬派なヒューマンドラマ「カラーパープル」は高い支持を得ているのにも関わらず、アカデミー賞では惨敗。黒人たちは「これはスピルバーグに対する冒涜だ」とアカデミーに抗議し、社会問題にまで発展。同じように芸術映画愛好家を気取っている人たちも、スピルバーグの映画を何かとコケにしていたようにも思える。スピルバーグをコケにすることで、自分が人よりも鑑賞眼がある人間だと見せつけようとする輩に攻撃された。だいたいスピルバーグの映画が芸術ではないという考えは、捨てるべきである。まず第一作の「激突!」からしてすでにスピルバーグの映像センスは神業であったのだ。娯楽と芸術は紙一重。「インディ・ジョーンズ」の冒険活劇を見て大興奮することは、映画芸術体験そのものである。スピルバーグを悪く言う連中は映画芸術を何もわかっちゃいない。

●映像と音楽の魔術師、1993年更に脂が乗る
 93年はスピルバーグの年であった。この年から、批評家たちのスピルバーグの見方がガラリと変わる。「シンドラーのリスト」はこの時代に珍しくモノクロームの映像で、強制収容所の実体をストレートに描写したシリアス巨編で、あくまで娯楽映画として徹底した見せ場を盛り込んだ作風で、これにより念願のアカデミー賞を初受賞。同じ年、先に公開した「ジュラシック・パーク」がすでに社会現象ともいうべき一大ムーブメントを巻き起こしており、ますます脂が乗った頃であった。
 スピルバーグの映像と音楽は、感動をぐんぐんと高揚させる力がある。「ジョーズ」でサメが接近する所でかぶせられる音楽の緊張感たるや、彼の尊敬するヒッチコックやトリュフォーでも出せなかった「今風」の映画的恐怖に色づけされた名演出である。「ジュラシック・パーク」ではCGと映像の融合にも完全に成功しており、CGの可能性を認めさせたと同時に、デジタル音声の力も遺憾なく発揮させ、映画館内に観客の悲鳴を轟かせた。同作は、芸術としてだけでなく、科学的にも21世紀の映画の幕開けを告げた名作といえよう。
 「E.T.」で、少年たちが自転車で空を飛ぶシーン、「未知との遭遇」で外宇宙の異星人たちとコンタクトを取るシーン、夢のある映像、計り知れない創造力に裏打ちされた映像に、観客たちはただただ感動するばかりである。彼の映画は、我々を日常世界から、全くの架空の別世界へといざなう。だからこそ本当に怖く、本当に優しく、本当に心に訴えかける。映像から、ストーリーから、音楽から、スピルバーグの演出は確かであり、我々は彼の思いのままに陶酔させられる。こういう魔力を持つ監督は、世界中を見ても、スピルバーグ唯一人しかいない。

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