ジョン・ヒューストン (巨匠の歴史)

いつも自分勝手に映画を撮り続けた監督

John Huston (1906~1987)
アメリカ・ミズーリ州出身
父は名優のウォルター
娘は名女優のアンジェリカ
    ●とにかくチャレンジャーな若者だった
 ジョン・ヒューストンはとにかく好奇心旺盛な若者だった。3歳にして初舞台を踏んで、両親といっしょに各地を巡業、14歳にはボクサーになって、アマチュア・ライト級のチャンピオンになる。19歳には騎兵隊に入隊。そんな感じで雑誌編集者や街頭歌手など、職を変えつつ、イギリス・フランスなどを放浪してまわった。そういう放浪癖は映画監督になっても相変わらずだったようで、撮影中もときには映画そっちのけで他のことに熱中することもあったらしい。この生き様に惚れ込んだクリント・イーストウッドは、自作「ホワイトハンター ブラックハート」でヒューストンのアフリカでの生活を映画化しているので、興味があれば見てもらいたい。

●ハードボイルドといえばこの人
 ハードボイルドといえばボガート、ボガートといえばヒューストンだ。ダシール・ハメットの探偵小説を映画化したデビュー作「マルタの鷹」は、ハードボイルド映画の最高傑作として名高く、アメリカの映画雑誌が選んだ世界映画犯罪ものベスト・テンでは5位にランクされた大傑作である(ちなみに1位は「アスファルト・ジャングル」で、こちらもヒューストンの監督)。この成功がきっかけで、ヒューストンは偉大なる映画監督の道を歩み始める。初期作品はまさに名作揃いで、「キー・ラーゴ」や「白鯨」など、ハードボイルド映画や豪快な映画で名を馳せ、藤子不二雄(A)さんも熱狂しまくったという逸話がある(先生の漫画はどことなくヒューストンのスタイルを感じさせる)。

●幾度もピークに達した映画人生
 もともと脚本家から始まったので、彼の映画は筋書きが面白かった。「脚本で見せる映画」と表現してもいいかもしれない。「黄金」、「アフリカの女王」、「赤い風車」などは娯楽的に優れた、かなり巧みな展開が楽しめるので、これからヒューストンを知りたいという方にはお薦めだ。
 かつてトリュフォーはこういった。「ヒューストンの一番いい映画は、ホークスの一番ひどい映画よりもつまらない」。・・・これには反論したい。ヒューストンの作品は、カメラの撮り方がどうのこうのという考え以前に、十分に名作の風格はある。ストーリーだけでもただただ圧倒的面白さを誇っているからだ。それはもうシェイクスピア的といっていい巧妙な話術である。
 ここで彼のフィルモグラフィを見て欲しい。この作品数! しかも名作を短期間に立て続けに放っている。そんな感じで、次々とユニークな娯楽作を発表して、彼は生涯に何度もピークに達した。また彼の映画は多少異端的内容でありながら、一般大衆受けがいいのである。

●酸素ボンベをつけて演出、死ぬまで映画狂だった
 ジョン・ヒューストンが相当な映画狂だったというのは有名な話で、スタッフたちがみな「彼は完全に狂っていた」といっているように、本気で凄まじかったらしい。頭の中は映画のことでいっぱいで、絵になる光景を目にしたら、もう大興奮。他人のことなど何も考えていやしなかった。最後の作品「ザ・デッド」(このタイトルからして彼はこれが遺作になると思っていたのか?)は何と酸素ボンベを常備して演出していたそうだ。そういう豪快な映画熱は、彼の映画全てに反映している素晴らしいものだ。

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