100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


シドニー・ルメット (巨匠の歴史)

硬派な社会派監督
Sidney Lumet(1924~)
ニューヨーク生まれ。
ニューヨーク派の旗手として
幅広く活躍。
    ●デビュー前からすでに職人ディレクター
 シドニー・ルメットのデビュー作は「十二人の怒れる男」である。のっけからいきなりこれとは恐れ入るが、実は彼はデビューするもっと前から芸能生活を送っていたのである。
 父はラジオ局の人で、そのコネもあって少年時代からラジオに出演したこもあった。父の影響で子役の劇団に入って、ブロードウェイの舞台にも立った。15歳のときには子役として映画にも出た。大学卒業後は演劇に熱中し、演出も何度もやった。26歳になると、CBSに入社、ディレクターとしての腕を認められ、一年間に平均100本のドラマを手掛けた。ルメットの職人芸を否定するものは誰もおらず、こんな調子だから、いずれにせよ映画監督として招かれて当たり前だった。

●デビュー作「十二人の怒れる男」
 デビュー作「十二人の怒れる男」は、社会派サスペンスの名作中の名作である。陪審員制度を題材にして、12人の男たちが会話をするだけの映画で、舞台は部屋から一歩も出ない。しかし会話だけでサスペンスを醸し出していた。僕も色々な映画を見てきたが、シンプルでありながらも、これほど巧妙で完璧な作品は他に見たことがない。

●テレビの流儀
 ラジオ・舞台・テレビと活動の場を次々と変えてきたルメットであるが、映画に転向してからも、彼は昔のやり方を忘れなかった。入念なリハーサルを怠らず、役者の気分を第一に考え、短期間のうちに撮影をしてしまう。「十二人の怒れる男」はたったの二十日で撮影してしまったのだから驚きである。彼のディレクターとしてのキャリアはテレビ時代も含めれば50年近く数えるのだが、いまだに演出のやり方は変えていないらしく、役者たちはルメットのそこを尊敬している。

●代表作は社会派ドラマ
 「未知への飛行」は核の恐怖を描いた作品、「質屋」は戦争の後遺症を持つユダヤ人の物語、「セルピコ」は警察の実体にせまったドラマ、「評決」は不正医療事件と闘う弁護士の話、etc...。
 ルメットは職人監督なので、苦手ジャンルは全くなく、恋愛ものもコメディも上手に演出するが、代表作は社会派ドラマに多い。だからいつしか社会派監督の代表格みたいになってしまった。推測だが、アラン・J・パクラのような硬派な映画作家もルメットのスタイルに薫染していると思える。

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