サム・ペキンパー (巨匠の歴史)

暴力映画を撮り続けた男
Sam Peckinpah (1925~84)

「俺は暴力の研究家だ。
なぜって、
人間の心の研究家だからな」
 
  ●ドン・シーゲルの助手になる
 南カリフォルニア大学にて演劇を学んだサム・ペキンパーは、卒業後いくつかの舞台を演出した後、テレビの裏方としてスタジオ入り。一方で自主制作で実験映画を作っていた。ある日、ひょんなことからドン・シーゲルと親しくなり、彼のもとにお遣い野郎として弟子入りする。最初は雑用ばかりだったが、やがて脚本を任されるようになり、シーゲル作品にも端役で出演、着々と映画監督に近づいていく。この間もペキンパーはこつこつと脚本を執筆、彼の書いた西部劇「ガンスモーク」、「ライフルマン」、「風雲クロンダイク」はテレビ局に買われ、しばらくしてテレビ局で西部劇シリーズのディレクターになった。

●異色の西部劇作家として注目される
 彼はこよなく西部劇を愛した。そして彼の作る数々の西部劇は、どこか異色であった。B級作家の雄ドン・シーゲルのもとで映画を学んだからだろうか? やがて「荒野のガンマン」で念願の映画監督デビューを果たすが、主人公が駄目男という一味違う趣向だった。続く「昼下がりの決斗」も、往年活躍した西部劇俳優ジョエル・マクリー、ランドルフ・スコットを起用してのこれまた新種の西部劇。こちらは各国で絶賛され、ペキンパーの代表作となった。ペキンパーは10年間も西部劇だけを頑固に撮り続け、プロデューサーとしょっちゅう衝突し、ひねくれた映画作家として知られた。

●暴力へのこだわり
 「ワイルドバンチ」のラストで見せた一大殺戮シーンは、血の舞踊あるいは死の舞踊と呼ばれ、そこから彼は過激なバイオレンス作家として知られるようになる。これも同じバイオレンス派のシーゲルの影響なのか? いや違う。彼のバイオレンスには男たちの仁義が描かれていた。「わらの犬」でも、仁義のために敢えて惨たらしく悪を成敗し、現代的なヒーロー像を作り上げた。彼の描くヒーローは、どこか愛すべきものがあった。そんな彼は「砂漠の流れ者」のようなほろ苦い西部劇挽歌も作っているのだ。

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