ウォルフガング・ペーターゼン (巨匠の歴史)

ドイツの期待の星がドイツを捨ててハリウッドへ
Wolfgang Petersen(1941~)   ●「U・ボート」でドイツ一の映画監督に
 海外の映画監督がハリウッドに招かれるケースは、映画黄金時代の頃からよくある話だったが、最近はまた益々目立ってきた。そういった外国人監督の代表者の一人が、ウォルフガング・ペーターゼンである。
 もとはドイツの監督で、自国で16本も映画を撮ったが、15作目にあたる戦争映画「U・ボート」はドイツ国内で史上最高の売上げを記録、米アカデミー賞にも何と6部門でノミネートされ、ペーターゼンは一躍ハリウッドからひっぱりだこに。

●もともと幻想の世界が好きだった
 続いては、ドイツ一有名な児童作家ミヒャエル・エンデの原作「ネバーエンディング・ストーリー」を映画化した。世界中の子供たちを感動させたファンタジー抒事詩である。ペーターゼンはもともと魔法の世界や幻想の世界に憧れる少年時代を送ったので、その幼心が協力して、これは重厚な神秘性を持ったイマジネーションの作品に仕上がり、大成功を収めた。その結果、ますますハリウッド進出を促すことに。

●いよいよハリウッド進出だが・・・
 ペーターゼンがハリウッドに来て最初に撮った映画が「第五惑星」とは何とも考えさせる。不気味な両性具有宇宙人と遭難した地球人の2人だけのサバイバル生活を描いた作品だった。出来映えは前のドイツ映画2作に比べると随分と悪かった。いかにも商業映画になってしまっていた。ハリウッド進出第一歩は、ハリウッドらしいスタジオシステムのせいで砕かれたのだ。

●その後野心作が続く
 ところがペーターゼンはハリウッドに居座ることを決意した。そして「ザ・シークレット・サービス」、「アウトブレイク」、「エアフォース・ワン」など、シナリオに抜かりの全くない重厚なタッチの娯楽映画を次々と発表している。どれも商業的な仕上がりだが、じっくりと見ると、ひとつひとつの演出の試みが野心たっぷりであることに気付く。
 この調子で、いずれ彼はオスカー像を手にする時が来るであろう。

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