100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


ヴィム・ヴェンダース (巨匠の歴史)

ロードムービー作家
Wim Wenders (1945~)
ドイツの新感覚映画監督。
  ●多くのファンを獲得
 ヴィム・ヴェンダースは「ベルリン・天使の詩」、「時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!」のロングランにより、日本でも熱烈なファンを獲得している。興味深いことに、私のまわりでは、特に20代後半から30代にかけての映画ファンのほとんどが、好きな映画監督にヴェンダースの名前をあげていた。それほどまでに人気があるということは、それだけ作品に何か心に訴えかけるものがあるのだろう。

●実は映画・音楽・ゲーム愛好家
 ヴェンダースは映画監督になる前から自主映画で16ミリを何本か撮ったこともあり、24歳のときに大学で撮った映画「都市の夏」で劇場デビューする。ロックバンド・キンクスに捧げた作品で、すでに彼らしいスケッチ的な作風が確立されていた。
 実は彼は昔から大の映画&音楽&ゲーム愛好家で、毎日名作を漁ったり、ロックン・ロールを聞きまくったり、ゲームセンターに入り浸っていた。彼の後の映画には、そういった青年時代の趣味が愛情となって反映することになる。彼がやがて映画賛歌「ことの次第」(ベネチア映画祭金獅子賞)に到達するのも当然の成り行きだった。

●ひたすらロードムービーを撮り続ける
 ヴェンダースといえば、ロードムービーだ。彼は世界各地を移動し、様々な映像を捉え続けた。デビュー当時は「都会のアリス」、「まわり道」、「さすらい」と立て続けにロードムービーの金字塔を打ち立て、各国の映画祭で高く評価される。映像はときには霧がかったように詩的な一面も見せ、フリッツ・ラング・小津安二郎・ジョン・フォードといった古典派監督を意識した演出が冴えていた。84年には決定的名作「パリ、テキサス」(脚本はサム・シェパード)を発表、この1作でヴェンダースは世界の映画人・映画ファンを振り向かせた。
 ただし、ヴェンダース映画はアメリカの批評家にだけは受けが良くなかった。そこでヴェンダースは考え、ハリウッド向けの娯楽作を撮った。ハイスミスの原作を自分流に脚色したエキセントリックなサスペンス映画「アメリカの友人」である。同作は全米で賞賛され、彼の代表作となる。この成功で、フランシス・コッポラから声がかかり、ダシール・ハメットを主人公にした探偵映画「ハメット」を監督。新しいものへの挑戦意欲はいつまでも失わない。

●ニュー・ジャーマン・シネマの担い手
 いやはやヴェンダース作品には異色作が多い。日本文化の変な一面にスポットを当てた「東京画」、ファッションデザイナー山本耀司とコンタクトを取った「都市とモードのビデオノート」、ハイビジョンを駆使して国際俳優が勢揃いしたSF「夢の涯てまでも」といった野心的な映画が登場する(すべて日本が絡んでいる)。まったく彼の生き様、映画に取り組む姿勢には敬服してしまう。これはまさにニュー・ジャーマン・シネマの担い手と呼ぶにふさわしい働きぶりである。
 熱心なファンに見守られているヴェンダース。これからの動きをおおいに注目しよう。

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