100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


傑作を発見する欲望 (コラム)

 先日僕の友達がある映画を見たいから一緒に行こうと誘ってきた。僕は一度は承知したのだが、時間の都合でどうも行けなくなった。そうしたら友達が急に泣き出したのである。子供じゃあるまいし、だだをこねるなと怒りたくなったが、でもよくよく思えば、僕の友達は、泣きたくなるほど、どうしてもその映画が見たかったということだ。絶対に良い映画だと思っていたから、もう見なければ気が済まない。僕も映画をこよなく愛している人間なので、映画に対するそのような気持ちは、わからなくもない。

「見たい」という欲求。この欲求が強くなるほど、その映画が見られたときの感動は大きい。たとえそれが駄作だとしても、見たことに対しての解消感は一応得られる。

 どうしても見たいものならば、5000円を払ってでも見てみたいと思う。こういう気持ちで映画を見るのもいいことである。

 ただなんとなく見てみようと思ったから見てみたとか、暇だからちょっと見てみようかなとか、見てみたい映画じゃないけど試写会に当たったから見に行くとか、そういう気持ちで見た映画が、案外面白かったりもする。それはそれでいっこうに構わないのだが、でも、どうしても見たいから意地でも見る。そんな風に映画を待ちわびることも、映画ファンにとってはたまらない楽しみ方じゃないだろうか。

 応援している女優が初めて大役に挑戦した映画だから早く見たい。だから封切り日に映画館に飛んで行く。それもいい。まわりの人たちが口々にすごいすごいと騒ぐから、どうしても見たくなって、その夜に早速見に行く。それもいい。意識してもらいたいのは、大きな期待を抱いて見に行くということだ。

 それは、もしかしたら、期待外れかもしれない。あなたのイメージしていたものとちょっと違う内容だったことにがっかりするかもしれない。それでもいいではないか。見たい見たいと期待していたときの、この胸のときめきは、実際にあったのだから。このときめきを少しの間でも感じられただけでも、幸せだったと思いたい。

 僕の友達の中には、このときめきを大切にするため、あえて見ないことにしている人もいる。好きな監督の映画を全部見てしまったら、今後の楽しみがなくなるというのだ。そういう温め方も、これからじっくり見ることができて一興だろう。

  僕は面白そうな予告を見ただけでも、期待で胸がドキドキしてくる。封切り日が近づくにつれ、「見たい」という欲求はどんどん高ぶっていく。そして実際に映画を見たとき、それがまさしく自分の期待していた通りの傑作だったときは、もう狂喜乱舞するばかりである。

 良い映画というのは、たいがい最初のワンカットでわかる。最初のワンカットの見せ方だけで、僕は「うむ、これは傑作に違いない」と、わくわくしてくる。こうなると映画が終わるまで僕の胸の高まりは滅多におさまることはない。このときめきこそが、映画を見ているとき、僕が最も幸せだと感じるものだ。

 自分の生涯に残る傑作と出会ったときには、本当に生きていて良かったと思う。真顔で映画とは何と素晴らしいものかと思う。こういう傑作を発見する喜びを追求することを、僕は「傑作欲」と呼んでいる。予告を見てから、どうしても見たくなってうずうずしてくるのも、ある種の「傑作欲」が働いたからだ。

 僕は常々、傑作を期待している。だからこそ映画を見続ける。一度生涯に残る傑作を見つけてしまったら、もう病み付きになること間違いなし。もう一度、あの感動を味わいたいと思う。僕はもうかれこれ13年映画をむさぼるように見続けているが、まだ飽きていない。むしろ「見たい」という欲求は高まるばかりだ。僕に感情がある限り、一生映画に飽きることはないだろう。

 蛇足だが、僕に課せられた仕事は、自分が発見した傑作を、このサイトで紹介することである。僕の文章を読んで、少しでも感動を共有できれば幸いである。これはいわば「傑作推薦欲」か。この欲もとどまることを知らない。だから僕は死ぬまで映画を紹介していくことだろう。

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