100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


イングマール・ベルイマン (巨匠の歴史)

品の出来栄えに満足しちゃったスウェーデンの監督
Ingmar Bergman
(1918~2007)
スウェーデンの映画監督
    ●集大成「ファニーとアレクサンデル」
 僕はベルイマンを敬愛する。「ファニーとアレクサンデル」を見たときには本当に驚いた。5時間を超える大作で、ベルイマンの映画作りのスタイルとモチーフのすべてがつまった集大成である。ベルイマンはこれを最後に映画界を引退。理由は「映画作りの面白さを味わい尽くしたから」である。本音じゃなかったのかもしれないけど、どちらにしてもこのような言葉が吐けるのは素晴らしい。芸術家というものは、ふつう創作に満足することはない。何か作れば、また新しい作品を作りたくなる。それが定めのはずじゃないか? ところがベルイマンはスランプに陥ったわけでもなく、映画ビジネスが嫌になったわけでもなく、自作に満足したから引退するというのである。実に、「ファニーとアレクサンデル」はそれだけのことはある傑作である。この作品だから言えた説得力のある言葉だ。僕はベルイマンという人物が本当に偉大だったのだとつくづく思った。

●映画の国境をうち破る
 かつて巨大な映画産業を持つ映画先進国といえば、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツ、日本、イギリス、ソ連の7カ国しかなかった。この7カ国から数多くの名作が誕生し、映画の歴史を形作っていった。7カ国の名作は世界中に愛され、国力を高めさせるほどの勢力があったといっていいかもしれない。当然のこと、7カ国からは沢山の巨匠たちが生まれたのだが、彼らをひざまづかせるほどの演出力を持っていたのがスウェーデンのベルイマンだ。スウェーデン映画などはなかなか輸出されるものではないのだが、ベルイマンの作品はカンヌなどのマーケットで高く評価され、世界的に紹介されることとなる。ベルイマンの映画は芸術至上主義的だと思われがちではあるが、彼は常に観客の気持ちに立って演出していたので、商業的にも充分に価値があったのである。ベルイマンの作品は「スウェーデン映画」としてでなく、あくまで「ベルイマン映画」として世間に定着した。国名ではなく、監督の名前の方が観客に焼き付く例は珍しいことだ。「フランス映画はオシャレ」とか「アメリカ映画は派手」みたいに、映画に国境を作って鑑賞する人たちが多いこの世の中で、ベルイマンは国境をうち破ったのである。ベルイマンこそ世界一の映画監督だという者は少なくないが、それは彼の映画がスウェーデン映画でありながら世界の土俵で最高の品質を提供していたことが大きな要因であろう。

●独特なスタイル
 「不良少女モニカ」が、ヌーベルバーグの作家たちに多大な影響を与えていることは有名な話である。彼のスタイルとタッチはまさに独特であり、ブランド的といっていい感じもある。死に神・時計・家族・室内などをモチーフにして、神の不在・女性不信などをテーマに人間ドラマを展開し、ときには憂鬱に、ときにはユーモラスに、人生の意義について語る。父は牧師で、宗教画を見て育っただけあり、彼の作り出すイメージは何やら神秘的で、詩的美しさを備えている。「第七の封印」、「処女の泉」における絵画のようなイメージの何たる感性か。彼はプライベートの女性遍歴も有名だが、彼の作品に自らの体験が色濃く反映しているのも特徴である。彼の映画はとにかく映画的魅力に満ちあふれており、信奉者は多い。かのウディ・アレンも彼のユニークなスタイルに惚れた熱烈なファンの一人である。

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