100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


ガイジンが日本人を演じるなんて最高! (コラム)

 DVDで久しぶりに「SAYURI」を見た。この映画が不当に評価されているのは、舞台が日本なのに、台詞が英語だからではないかと思う。本当はそこが良いのに。

 僕は「SAYURI」は字幕と吹き替えの両方を見たが、字幕の方が倍は楽しめた。吹き替えだと日本人が日本語を話すので、不思議なオーラがなくなるような気がする。

 多くの日本人にとっては、日本人が英語を話すこの映画は奇妙なものに見えたかもしれない。舞台劇では当たり前のように日本人が金髪のかつらをして大まじめにガイジンを演じているのに、映画となると、これがどうしても許されない。映画の方がリアルさを求められているからであろう。

 しかし、アメリカ映画ではこういうことは普通にやっている。アメリカ人がフランス人の役を演じたりするのは当たり前で、少しもおかしなことではない。アメリカではフランス人の役を下手なフランス語で演じたところで、どのみち英語に吹き替えられる。どうせ英語に直されるのだから、始めから英語で演じさせた方が何かと都合がよいのである。

 僕が生涯で最も好きな映画であるチャップリンの「殺人狂時代」は、フランスが舞台になっているが、使われているフランス語は「ボンジュール」、「メルシー」、「ウーララ!」など、誰でも知っている簡単な言葉だけで、他の台詞はすべて英語である。その点も僕がこの映画を好む理由のひとつである。イギリス人なのにフランス人を演じるなんて、かっこいいなあと思った。以来、僕はぜひ外国人に日本人の役を演じてもらいたいと思っていた。だから「SAYURI」が出てきたときには、やっと僕が求めていたものを見つけた気分だった。あこがれのコン・リーに日本人の役を演じてもらえるなんて、日本人として、こんなに嬉しいことはない。

 実は「SAYURI」の台詞が英語というのには、もっともな理由もあった。この映画はある一人の芸者がアメリカ人に話して聞かせる自分の思い出話なので、つまりは彼女がアメリカ人にわかりやすいように全ての話を英語に言い換えて語っているというわけだ。これならば映画の中で日本人が英語を話したとて違和感あるまい。

 もっとも、そんな理由やこじつけなどなくとも、外国人が日本人を演じる映画は今後どんどん作られてもいいんじゃないかと思う。

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