100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


映画は百聞は一見に如かず (コラム)

映画は百聞は一見に如かず



 自分の中で常々思うのが、人から話を聞くよりも実際に自分で見た方が遙かにいいということだ。百聞は一見に如かず。これは何も映画に限ったことではないが、ここではあえて映画に絡めて考えてみたい。
 映画は実際に見なければ見たことにはならない。雑誌の評価や他人の感想を聞くよりも、実際に自分で見た方が何よりも納得するし、感動が大きいのはわかりきったことである。だから、見ていないのにまるで見たように振る舞うのは罪悪的でさえある。
 僕は今までの記事で、何千本という映画のタイトルを引用してきたが、話題に出した映画のすべてを見ているわけではない。見ている途中で寝たというのならまだしも、はなっから見ていない映画が多いのが事実である。見たことのない映画の内容は予備知識だけで補ってきたわけだが、それを僕はあたかも見たことがあるように書いて、今まで読者をだましてきたわけである。まったくとんでもない野郎である。ちゃんとした情報を参考にして記事を書いているつもりだが、もし僕が参考にした情報が間違っていたら、僕の情報までも間違ったことになってしまう。その意味では僕は前科何犯になるのだろうか。考えただけでもぞっとする。
 テストで他人の答えをカンニングして写したとして、その答えが間違っていたら、自分の答えも間違いになる。映画の話題もこれと似ている。噂を信じて上品な映画と吹聴していたら、実際に見てみるとひどく下品な映画だったなんてことになれば、信用はがた落ちである。聞いただけで物事を判断してはいけないということだ。


 助監督の仕事内容を確実に説明できるのは、実際に助監督を経験している人だけである。助監督経験がない人が助監督の仕事について説明したところで、リアリティがないだろう。
 見てない映画について力説されても、いまひとつそれが説得力に欠けるのは、話し手から「見たぞ」という実感が伝わってこないからである。プロの映画ライターたちは、時には見たことのない映画について書かなければならず、そこをなんとか己の知恵で克服してきたが、それでもやはり実際に見たという人の感想には敵わないだろう。
 見ていなければ質問には答えられないが、見ていれば質問にいくらでも答えられる。見たという人の感想はリアリティがあり、生き生きとしている。「これはこういう映画だから見た方がいい」というのと、「これはこういう映画らしいから見た方がいい」というのでは、人をときめかせる度合いは雲泥の差だろう。映画は見てこそ初めて本気で他人に薦められるようになるのである。だから映画は「百聞は一見に如かず」なのだ。

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