100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


僕がアメリカ映画ばかりに偏ってしまう言い訳 (コラム)

僕がアメリカ映画ばかりに偏ってしまう言い訳



 会社の先輩が、僕にある監督の名前を出した。しかし、僕はその監督の名前を知らなかった。それで僕は先輩から「え、有名な監督なのに知らないの。知識浅いねえ」とバカにされた。僕が映画好きというのを知ってて、そこに当てつけた一言だったので、僕はプライドを傷つけられてちょっとカチンと来た。内心は「ケッ、俺はおまえが知らない映画をいっぱい知ってんだよ」なんてことを言いたかったのだけれど、本当にその監督のことは知らなかったので、反論の余地がなかった。
 というわけで、負けを認めるようではあるが、この場を借りてストレスを発散させてもらう。
 僕は、映画をどんなに幅広く見ているつもりでも、人それぞれ見る映画の趣味に偏りがあるのは当然だと思うのである。365日、毎日映画を見ていても、見てない映画は見ていないのだ。淀川長治、蓮實重彦、山田宏一はジャンル問わず何でも知っている映画評論家であるが、彼ら3人の対談文を読んでも、3人が話題に出た全ての映画を見ているわけではないことがわかる。ましてや僕みたいな素人は自分のお金で映画を見るわけだから、好きなジャンルの映画ばかり見てしまうのも当然の成り行きである。だから僕は新作でもジャンルによっては話題についていけないことがしばしばある。しかしそれを恥ずかしいこととは思わない。


 僕のサイトで取り上げる映画は、どうしてもアメリカ映画が多くなる。僕があえてアジア映画やヨーロッパ映画でなくアメリカ映画を選ぶ一番の理由は、「アメリカ映画の記事が受けるから」である。映画産業のシェアはアメリカ映画が最も高いため、アメリカ映画を取り上げるのは総合映画サイトとして必然の帰結である。
 ときどき僕のところに、応援のメールや苦情のメールが送られて来るが、僕のサイトの統計上では、誰も知らないミニシアター系の記事は無視されることが多く、アメリカ映画の新作の記事は反響がいい。話題作を取り上げるとアクセス数も跳ね上がる。だから僕はアメリカ映画ばかりを取り上げる。そうなると、アジア・ヨーロッパ映画を愛するファンたちから、僕がアメリカ映画ばかりの浅い男に見られてしまっても、仕方がないことではある。
 言い訳がましくなるが、良い記事を書きたいがために、アメリカの大作ばかりを見るのは、映画サイト管理人の悲しい性分なのだ。これは僕に限った話ではなく、書店にある映画雑誌にだって言えることだと思う。
 だから、僕が知らない映画があったからって、そこで揚げ足をとるのもどうかと思ったのである。そこを僕は会社の先輩に言いたかったのだ。

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