100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


スピルバーグを貶しゴダールを褒める人 (コラム)

スピルバーグを貶しゴダールを褒める人



 「なんちゃって批評家」にはなりたくないものだ。
 他人よりも映画に詳しいからといって、わざと他人と反対のことを言う「なんちゃって批評家」は、いつの時代にも存在する。どこぞの大学の映画研究会を観察してみても「なんちゃって批評家」は多い。彼らのひとつの傾向として、商業映画をコケにし、ヌーベルバーグを褒めることがあげられる。

 可哀相なのはスティーブン・スピルバーグで、常に「なんちゃって批評家」の格好の餌食となり、貶(けな)されてしまう。スピルバーグが彼らから嫌われる理由は、世間からチヤホヤされる売れっ子だからである。
 ジャン・リュック・ゴダールは、「なんちゃって批評」にしばしば引用され、異常なほど神格化されているが、私はここに疑問がある。ゴダールを悪く言うわけではないが、スピルバーグを貶してゴダールを褒めている人を見てると、その多くは、単に批評家ぶってるようにしか見えないのである。難しい漢字や外来語ばかりを並べている人に限って、スピルバーグの何が悪いのかが、うまく説明できていない。商業映画を褒めるのは自尊心が許さないのか、内心はスピルバーグの映画を面白いと思いながらも、あえて欠点を探してきてイチャモンをつけているようにも見えるし、「映画批評」という格好ばかり決め込んでるわりには中身がないのである。私はこういう文章がいまいち信用できない。もっと素直に本音を聞かせてもらいたいとも思うのだが。目的は、他人にかっこいい批評文を見せつけることではなく、映画について書くことだという最も初歩的なことを忘れてはいないだろうか。


 偉そうに書いたが、かくいう私も自分が恥ずかしくなるくらい「なんちゃって批評家」なのである。
 そんな私が現在目指している批評は、他人に「言われてみればそうだな」と共感してもらえるようなユニークな批評だ。最近では音楽評論家の渋谷陽一氏の文章にかなり感銘を受けたが、あんな批評を書けたらどんなにいいか。私は「映画批評のロマン派」になろうと、日夜努力してきたつもりだ。まだまだ力不足で目標にはほど遠いが、少なくとも、今日の自分は昨日の自分よりも一回り成長しているという実感はある。

 私の批評が「なんちゃって批評」から本物の批評に到達する時を夢みて、私は今日という日を精一杯生きたい。

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