100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


ネタバレはどこまで許せるか (コラム)

ネタバレはどこまで許せるか



 僕はこんなサイトを作ってる以上、図らずもかなりのネタバレをしてきたはずだ。昔は「ネタバレあり」とわざわざ記述していたが、今は読者が承知しているだろうから記述していない。
 映画の記事を読む行為について、次の二つのシチュエーションが考えられる。映画を見た後に読むか、映画を見る前に読むか、このどちらかだ。見た後に読んでくれるのならこちらも大いにネタバレするのだが、まだ映画を見ていない可能性も考えられるので、記事は慎重に書かねばならない。僕の場合、「名作一本」と「B級映画ラボ」は主に見る前に読む記事、「レビュー」は主に見た後に読む記事として書いているつもりだ。
 さて、読者の皆さんは、ネタバレはどこまでが許せますか? 映画を見る前にパンフレットを買って、休憩時間に読んでいる人がいるように、映画を見る前にストーリーを予習しておく人もいれば、映画を見るまでは何も見ない人もいる。
 僕はたいてい予備知識を持たずに映画を見る方。できればジャンルも出演者も知っておきたくない。いつもポスターの雰囲気で映画を選ぶため、最初はサスペンス物と思っていたのに、見てみたら恋愛物だったということも多々あった。誰が出てるのか知らずに見てみたら、そうそうたる豪華キャストだったこともあった。そういう意外性を僕は楽しんでいる。
 映画を見る前に何か記事を読んで、「これはこういう映画だから面白そうだ」と期待して見ることもある。この場合、映画を見ている時よりも、記事を読んでワクワクしている瞬間の方が気持ちよかったりもする。問題はネタバレの度合いだ。見たいという欲情をかきたてるのはいいが、度がすぎると、実際に映画を見たとき興が醒めかねない。


 映画評論家・浜村淳さんのラジオの映画紹介は、愛がこもっていて、映像が目の前に浮かんでくるほど上手である。僕も好きなのだが、浜村さんは何もかも話してしまうので、彼が紹介した映画を実際に見たとき、妙に虚しさを感じたこともあった。浜村さんのトークは絶品で、ワクワクさせるが、大阪のリスナーが浜村さんの映画紹介について「あれを聞けば映画を見に行かなくてすむ」と言っていたことがあるように、映画を見る前に聞くものじゃないのかもしれない。
 僕が避けたいのは、「予想できないラストだった」「ラストが納得できない」「ラストで泣いた」などといったラストに関する些細な感想だ。これを聞いてしまうと、映画の途中で余計な推測をしてしまい、場合によってはラスト・シーンの効力を半減させるおそれがある。ラストは映画の中でも最も重要なので、できれば頭を空にして見たいものである。人によっては、すぐに「それって最後どうなるの? ハッピーエンド?」とラストのことを聞きたがる人もいるが、僕にとってはこんなの言語道断である。
 では「十二人の怒れる男」や「猿の惑星」はどうだろう。ストーリーはあまりにも有名で、知りたくなくてもどこかで聞いている。もはやネタを知っていることを前提に見なければならない映画だ。最後を知っていても十分に楽しめる内容であるが、もし頭を空っぽにして見ていたのなら感想はまた違っていたかもしれない。
 映画は宣伝しないことには始まらないので、ネタバレはつきもの。どこかで許せないほどネタバレされても諦めるしかない。こうなったら、そのネタがどう料理されているかじっくり見てみようと開き直ろう。それもひとつの映画の楽しみ方だ。

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