100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


気分次第で映画は傑作となり駄作となる (コラム)

気分次第で映画は傑作となり駄作となる



 先日、銀座のとあるミニシアターで不愉快な思いをした。ううむ。あの女モギリの許すまじ態度。忘れたくても忘れられない!
 女モギリは、僕に「下の階のロビーで上映が始まるまでお待ち下さい」みたいなことを言ったのだが、僕がそれをよく聞き取れず「え?」と聞き返したら、彼女は今度は怒鳴るように、さっき言ったのと全く同じセリフを繰り返した。マニュアルどおりのセリフである。
 何時間もじっと座りっぱなしなので、相当ストレスがたまっていたのか。とにかく映画館のスタッフにはつんけんとした人が多い。でも、ただ聞き返しただけであんなに怒んなくたっていいのに。「チケット返してください」と応戦したくなったが、あいにく見たい映画がそこでしかやってなかったので、悔しいが僕は何も言わずに引き下がった。
 僕も人の子。弱い男です。時には腹も立ちますわ。この一件でむしゃくしゃしてたせいか、映画が始まっても、しばらく気持ちを切り替えられなかった。
 ここで僕が学んだこと。映画の価値は(何も映画に限ったことじゃないんだけど)、作品そのものの質もさることながら、観賞者本人の体力的あるいは精神的コンディションにも大きく左右されるということである。


 同じ映画でも、気分がすっきりしてるときに見るのと、気分が悪いときに見るのとでは、ずいぶんと印象が違う。期待してみるのと期待しないで見るのとでも、やはり印象は違っている。三本続けて映画を見ると、しだいに集中力が低下して、三本目は一本目ほど頭に入らない。つまらない映画を見た後に面白い映画を見ると余計に面白いと錯覚する。初めて見たときはつまらなくても、二回目では面白い映画もある。見る時代によって評価が変わる映画もある。出演者のゴシップのせいで映画の印象が変わってしまうこともある。
 我々は、すべての映画を常に同じコンディションで見ることはできない。僕も映画評論家の端くれ。すべての映画をできる限り公平に評価したいと思ったこともあった。しかし、不公平に映画を見ることは決して悪いことではなく、むしろ人の子として、個人なりの意見と感想が生まれて興味深いと思うのである。単に映画それ自体の内容だけを語るのも面白いだろうが、映画から逸脱した裏話などで盛り上がってみるのも一興。チャップリンの「独裁者」は、映画それ自体よりも、社会的時代背景や人物像について語られることが多いが、こういったわがままな批評を、僕は大いに奨励する。

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