100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


映画批評にルールなし (コラム)

映画批評にルールなし



 学校の国語のテストで、「この詩はどういう気持ちを表現しているか」という問題が出た。青年は「幸せな気持ち」と答えたが、バッテンをもらった。先生は「これは悲しい気持ちを表現している」と言った。どうしても納得できなかった青年は、職員室に行き「僕はこの詩を読んで幸せな気持ちになったんです。マルをください」とひたすら押してみるのだが、先生は頑として譲らないのだった。
 これは僕が勤めている会社の上役の思い出話である。この先生、ちょっと頭が固いと思わない? ものの捉え方なんて、人それぞれ。国語でも生物学でも答えが一つだけとは限らないんだ。先生が違うといっても、本人がこれはこうだと思ってるんだったら、それはそれでいいじゃないか。歴史を見ろ。哲学だって思想だってエライ人たちはみんな違うことを言ってるけど、みんな自分こそが正しいと信じてる。
 もうひとつ面白い話をしよう。ミレーの名画<晩鐘>を見たサルバドール・ダリは、この絵についてこう解釈した。「左の男は自分の勃起を帽子で不自然に隠している」。なんとユニークな鑑賞眼か。僕もこうありたいと思った。

 


 ようやく本題に入るが、このことは映画批評にも言える。有名な映画批評家がこの映画はこういう映画だと言ったからって、その型にしたがわなければならないというルールなどどこにもない。「映画批評にルールなし」である。
 たとえば、チャップリンの「街の灯」のラスト・シーン。これを幸福と見る人もいるが、不幸と見る人もいる。さまざまな意見があるが、どれも必ずしも間違っているとは限らない。
 「独断と偏見」とはよくいったものだが、あなたの意見が、たとえ定説をくつがえすものであったとしても、それが監督の意図した主張と違っていたのだとしても、それはそれであなたなりのひとつの捉え方なのだから、あなたはその意見を大切にして、貫きとおすべきである。だって、それが映画批評の心なんだから。

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