アンリ・ジョルジュ・クルーゾー (巨匠の歴史)

スリル描写にかけては映画史上ナンバー1の監督
Henri-Georges Clouzot
(1907~1977)   ●映画監督への道
 アンリ・ジョルジュ・クルーゾーはフランスの有名な監督であるが、病弱なため、10本程しか作品を残していない。彼が監督になるまでの経歴は、考えただけでも苦しい。
 22歳の頃にはすでに映画評論家として執筆活動をしていたが、やがて産業映画の編集技術を習得。脚本家のアンリ・ジャンソンの影響で、自身も脚本家になり、ヒット作を放つ。このとき23歳である。この当時はサイレント映画がトーキーになった時代だったので、彼はドイツ映画のフランス語シナリオなども担当した。
 その後、アナトール・リトバクの助監督になるが、ところが胸を患い、5年間も療養生活を送る羽目に。せっかくのチャンスだったのに・・・。
 38年、ようやく脚本家として再び映画界に復帰。15本の映画シナリオを執筆。これらのほとんどがサスペンスだった。彼が監督デビューを飾るのはそれから4年後の34歳になってからである。

●もう一人のキング・オブ・サスペンス
 サスペンスといえばアルフレッド・ヒッチコックだが、彼を凌ぐほどの恐怖描写に定評があるのが、アンリ・ジョルジュ・クルーゾーであった。彼の恐怖描写は精密な計算のもとに描かれたもので、前にも後にも全くない手法を駆使した、身の毛もよだつ恐ろしさであった。彼のサスペンスは世界的に大ヒットを飛ばした。ヨーロッパの作品が観客を山ほど引き寄せた例は、クルーゾーの映画くらいしかないと言われている。大袈裟かもしれないが、それだけ優れた一流の恐怖映画メーカーだったのだ。

●「恐怖の報酬」
 クルーゾーの映画を語るなら、「恐怖の報酬」である。世界中がこの映画に驚愕した。一言でいえば、危険物運搬映画である。
 貧乏生活を送っていた4人の男たちが、ニトログリセリンを山上までトラックで運んでいくアルバイトを引き受ける話で、リアリズム演出も冴え渡っており、ちょっとした衝撃でも大爆発してしまうという恐怖感がもろに伝わってくる傑作であった。
 彼はこの作品と、もうひとつの恐怖映画「悪魔のような女」の2つの作品で、人気を決定的なものにした。この2本はずいぶんと後になってハリウッドでもリメイクされている。

●映画祭でもおなじみ
 寡作でありながら、作品のほとんどが映画祭で賞を受賞している。「犯罪河岸」と「情婦マノン」はベネチア映画祭で、「恐怖の報酬」と「ピカソ-天才の秘密」はカンヌ映画祭で勝ち星をあげている。まさに、ただものじゃないね。

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